付録B 私達はどこへ向かっているのか

要約

もしも収穫加速の法則が正しく社会が指数的に成長していくのなら、やがて人間を超える人工知能が生まれる。それらの人工知能は生物の概念を変え、人々の生活は情報技術により開拓された情報空間へと移っていく。社会の指数的成長を維持するには様々な問題を解決する必要があるが、計算機産業の発達の助けもあり解決可能である。人は死を克服し生物としての運命を超越する。そのような社会になる前に、もし最も優れた人工知能を作った者がそれを悪用すれば世界を征服することさえ可能とする。その侵略に対向するためにあらゆる人々が指数的成長と人工知能の開発に取り組まなくてはならない。人間と変わらない知能を持った人工知能はもはや人間である。技術の発展が世の中の価値観を変えていくが、本質的な部分は変わることなく受け継がれていく。

目次

B.1 世の中はどんどん途方も無いことになる

B.1.1 収穫は加速する

情報空間という新天地

ここでは第14章で経験測として紹介し、第15章で理論モデルを作って正しさを検証した収穫加速の法則が与える社会的影響についてより詳しく説明する。 まずは収穫加速の法則が正しかったら何が起こるかについて説明する。 主な内容はThe Law of Accelerating Returnsのリンクや次の書籍に書かれているので詳しくはそちらを参照して欲しい。

これらの著作の内容がよくまとまっている動画があるのでぜひ見て欲しい。

これらの著作では社会の指数的成長と知的特異点について触れられている。 知的特異点とは科学や技術などの発見のできる人工知能が作られ、どんどん発見の速度が上がっていき、やがて人間はどうあがいてもその速度に追いつけなくなる状況を言う。 このような状態に少なくとも50年もすれば確実に到達すると予測されている。 これが本当だったら一体どのようなことが起こるだろうか?

個人的には今いる学者陣は全員退職だなと思う。 知的発見でどうやっても人工知能に勝てないのなら、もう特別な職業として成り立たなくなる。 同じように今、知的生産に関わっている人はすべてが失業するだろう。

今いる学者達を全員失業に追いやるほどの知能を持った存在が現れたら一体どれほどの発見ができるだろう。 いわゆるノーベル賞級の発見など日常茶飯事になることだろう。 世界の真理は全て発見し尽くされてしまうだろう。 現在、地球上で誰も見たことが無い土地というものは存在しないが、同じように誰も見たことが無い現象というものは無くなる。 そして主な関心はその応用だけになるだろう。

と、思ったが科学法則は原理的に絶対の真理にはなり得ないので話は難しくなるかもしれない。 いずれにせよ、いわゆる宇宙の成り立ちの説明という意味での科学はすべて解明されることは間違いない。

数学の世界に限りがあるのかは分からないが、いずれにせよ途方も無いほど発展することは間違いない。 それこそ人類が数万年かけて作ってきた数学を、ほんの1日のうちに再発見できるほどの研究能力を持つようになるだろう。 もし現代社会が続けている指数的成長が今後も続けば、そんな恐るべき時代があと50年でやってくる。

これらの基礎研究に引きずられるように技術革新が進めば、人間のちっぽけな想像力で想像できるような技術ならほとんど全てが実現できるだろう。 もの作りは分子や原子を直接並べて物を作っていくようになるだろうし、計算機は言わずもがなである。 原子核を組み替えて白金や金を自由に作れるようになるだろうし、化学工業は廃棄物を一切出さなくなるだろう。

通信技術はさらに発達して人間の脳では原理的に区別することができないようなヴァーチャルリアリティが実現するだろう。 人間は外部からの刺激を感覚器官を通して受け取り、その情報を脳の神経で処理して現実を認識しているので、実際に体験した時に行われる処理とまったく同じ処理が行われるように神経系を刺激することができれば、それはどうあがいても自分の脳では現実なのか仮想現実なのか区別をつけることができない。 現実をそれぐらい再現できるヴァーチャルリアリティを作り、その中で生活することもできるようになるだろう。

それは情報技術によって新しく作られた居住空間になる。 その中にいれば現実とまったく変わらない刺激を得られるのだから、何も無理をして外に出かける必要はない。 物理的な距離を移動するには時間もエネルギーも浪費するのに対して、仮想空間上を移動するのはデータの通信で済むので、非常に速くエネルギーの消費も少ない。 どんどんヴァーチャルリアリティの中にいる時間や生活の中での重要度は増して行き、もはやそこから出る必要も出たいと思うこともなくなるだろう。 それは言うなれば物理的な性質を持つ物理空間とは別の、情報としての性質だけを持つ情報空間とでも呼ぶべき、まったく新しい生存圏になる。

もちろんロボット技術も完成されて物理空間内での仕事はすべて機械が行えるようになる。 物理空間内での移動手段や生物としての肉体の保持に必要な活動や産業の維持に必要な資源調達や加工のすべてをロボットで行えるようになる。 現在存在する文明を支えるのに必要な生産能力はなんなく確保できるだろう。

このように、人は現存するあらゆる仕事をする必要がなくなるし、やりたくても能力がなくてできないような時代が来る。 働かなくても生きていける世界の誕生である。 働かなくていいのだから、皆で歌って踊って、楽しく生きていくだけでいい。 また、必要があれば人工知能の知能を自らの脳に植えつけるなり、情報空間内で抽象的な意味で人工知能と一体化して、人工知能の能力を自分の思うがままに使って数学や工学の研究をすることもできる。 歴史上最も優れた頭脳を持ち、それを自由に使うことができれば知的生産ならどんなすばらしい発見でも発明でもできるようになる。 また、ロボットを動かすのにも人工知能を使うのだから、その人工知能の代わりに自分が動かせば、どんな工作も行動もできるようになる。 芸術分野は一体どんな発展を遂げるのだろう。 想像もつかないが、とにかくひたすらに洗練された芸術を誰もが作りだせるようになるだろう。 とにかく人間のちっぽけな想像力で想像できることなら、なんでも実現できる自由な世界がやってくる。

B.1.2 社会問題の解決

夢を実現するために必要なこと

このような夢のような世界を実現するためにはなんとしても社会の指数的な成長を維持しなくてはならない。 そのためには解決しなくてはならない問題が山のようにある。 技術的な問題については紹介した著作に詳しく解説してあるので、ここでは社会的な問題について考えてみる。 例えば環境問題、資源問題、エネルギー問題、食料問題、言葉の壁、距離の壁、政治的壁、倫理的壁などである。 逆に言えば指数的成長を維持するための創意工夫が現代社会の中にある社会問題を解決してくれる。

指数的に工業生産や計算機産業が成長していくには環境問題や資源問題やエネルギー問題を解決しなくてはならない。 もし工業生産の副生物として出る廃棄物で地球が汚染され、人間が住めない世界になってしまったら元も子もない。 人に害がない程度の廃棄物しか出ないように工業生産が制限され、指数的成長ができなくなるかもしれない。 それを防ぐために廃棄物を浄化する技術の開発が必要である。 もしくは始めから廃棄物を出さない製造技術を開発する必要がある。

そのために情報技術が果たす役割は様々だが、化学分野の計算機シミュレーションが発達すればその開発が楽になる可能性がある。 廃棄物の分解方法やそもそも廃棄物を出さないプロセス開発も、化学的な性質が解明されていれば楽に開発できるかもしれない。

また、生産のための資源やエネルギーが枯渇する恐れもある。 そうなれば指数的成長どころかその時点で文明の維持すらできなくなる恐れがある。 それを防ぐためには資源のリサイクルや代替材料、代替エネルギーの開発が必要になる。 これも化学分野の発達があれば解決できる問題である。 その解決を情報技術が助けることができ、資源、エネルギーが枯渇するまでは計算機は指数的な成長を続けることが期待できるので、これらの分野も指数的な成長を遂げることが期待できる。 完全に資源が枯渇する前にこれらの技術が開発できるだろう。 もしこれらの技術の開発が済む前に資源が枯渇してしまうなら、優先的にこの分野に資源を回し、他は抑制しなくてはならない。

指数的成長を遂げる分かりやすい方法は人口をどんどん増やしていき、技術開発に携わる人の数を増やしていくことである。 個人の研究開発の能力が上がらなくても、研究する人の人数が多くなれば発展の速度は上がっていく。 そのためには世界人口を増やす必要があるのだが、人口が増えれば食料問題などの人間が生きるための資源が枯渇する恐れがある。 指数的成長が達成できれば、最終的には生産はロボットがすべて請け負い、どんなに多くの人が居ても消費しつくすことはできないほど生産できるようになるので気にする必要はないが、その途中でつり合いが崩れて食料が不足する事態になるかもしれない。

社会が成長しようがしまいが勝手に世界人口は増えていくのだから、そうならないように食料生産能力の確保をしておかなくてはならない。 農地を拡大するための砂漠緑化や農耕機械のさらなる開発による効率化、最終的には完全自動化、遺伝子改良による効率的な品種改良などを研究する必要がある。 これにはロボット技術や遺伝子解析の技術などを発展させる必要があり、そこにもコンピュータを応用することができるので計算機の指数的成長の恩恵を受けることができる。

指数的成長が進むにつれて言葉の壁や距離の壁が大きな障害になっていくだろう。 それまでは移動や他言語で作られた情報を理解するには時間はかかれど大した時間ではなく、問題を解くことそのものが最も時間のかかる過程であるが、人工知能の発達などによりやがて問題を解決するのには大した時間がかからないようになる。 そうなった場合は世界中の研究者と情報を交換したり、物資や人の移動に最も時間がかかるようになる。 その不効率をなくすために自動翻訳や情報空間への生活圏の拡大を積極的に薦める必要がある。

また、厄介な壁として政治的、倫理的な問題がある。 後述するように技術開発には政治が直接関わってくるので、政治体制が脆弱だとそのせいで技術の発展を阻害する恐れがある。 例えば何らかの実験を行う時に、法整備が整っておらずそれが法律で許可されているかどうかが怪しいような場合があるだろう。 それは技術革新の速さが速くなればなるほど問題になってくる。

この問題の厄介なところは政治を民主主義でやる以上、極少数の優秀な人間がその問題の解決策を思いついたところで意味はなく、国民全体の理解が必要なところである。 いかにして国民全体に正しい知識と理解を伝播していくかが問題になる。 これは教育の問題でもあり、いかにして国民全体の教養の高さを上げていくかの問題でもある。 国民の教養を上げるのに、画期的な技術的解決というものはなく、地道な活動を続けていくしかない。

同じことが倫理的な問題にも言える。 技術の指数的な成長の結果、人間を作り変えるような技術が開発されることがあるだろう。 その時に倫理的問題からそのような研究はするべきでないという声が上がる可能性がある。 国民全体が大いに議論し、その結果の結論であるなら問題はないのだが、後述するようにこれらの問題を何者かが自分の利益のために引き起こす可能性もある。 つまり、倫理的な問題があると言ってその分野の研究を止めさせ、自分でその研究を完成して後で高く売りつけるようなことをする団体が現れるかもしれない。 このような問題への対策にもやはり、国民全体の教養の高さが鍵になる。

このように社会の指数的成長を維持するのには様々な問題を解決していかなくてはならないが、それは解決不能というほどの問題ではない。 逆にこれらの問題を一つ一つ解決していく中で、よりよい社会が実現され人々の生活はどんどん良くなっていくだろう。

B.1.3 運命を超越する

死は本当にさだめなのか?

このような技術革新が繰り返される中で、自分自身の肉体を作り変えることができる技術が必ず開発される。 先に触れた情報空間内で人工知能の知識を借りることもできるようになるだろうし、もっと直接的に自分の肉体を作り変えることもできるようになるだろう。 脳に機械を埋め込んでその能力を強化することもできるようになるだろうし、機械的な人工神経回路と人間の神経回路を物理的に接続することもできるようになるだろう。 また、老化を止めたり若返ったり、身体能力を強化することもできるようになるだろう。

これは社会的にすさまじい意味を持つ。 自分を自由に作り変えることができるようになるということは、あらゆる生物学的な制約から自由になれるということを意味する。 人生の選択肢は無限に増える。 一度そういった社会を体験してしまえば、もはや現在のような極めて不自由な生活に戻りたいと思う人は居なくなるだろう。

まず自分の脳を強化して知能をいくらでも拡充できるとなれば、今普通に行われているような学習をする必要がなくなる。 必要があればいつでも、いくらでも知識を脳に詰め込むことができるのだから、前もって学習しておく必要はない。 学習や勉強という概念は、たとえるなら図書館の本をきれいに整頓するようなものになる。 必要なときに必要な知識をすんなり脳に詰め込めるように、あらかじめ知識を整頓しておくのである。 その整頓は誰かが一度やればよく、残りの人はそれをコピーさせてもらって使えばいいのである。 学習の効率は驚くべき物になる。 このような効率化が社会の指数的成長の原動力になっていく。

これは社会的には才能という概念が完全に消え失せるということを意味している。 才能とは他の人にはできないことができたり、同じように勉強しても知識の習得の効率が良かったりすることである。 しかし、そのような学習をする必要がそもそもないし、どんな知識も機械的に脳に詰め込めるので人と比べて差が出ることはない。 つまり才能という概念が無くなる。

これは才能のある若者にとっては都合の悪いことであるが、才能がある人たちの集団にもやはり序列があって完全に自由に振舞える人は地球上に何人いるかという話なのだから気にする必要はない。 それより不思議なのが、才能がない人々の方がこういった世の中に恐怖を抱くように見える点である。 自分達こそがこういった世の中で才能がないという、生まれながらに持っている制限から解き放たれるというのに、どういうわけかそれを恐がる。 それは単純に自分が経験したことのない、未知の世界を恐れているのだろうが、そういった人々にきちんと不安がらなくていいのだと教えていく必要がある。

自分の頭脳を自由に強化できるように、自分の体も自由に強化できるようになる。 自分の体を作っている細胞を入れ替えて体を作りかえることもできるだろうし、機械を埋め込んで出力を上げることもできるだろう。 だがそれより情報空間を経由して、ロボットを制御している人工知能の代わりにそのロボットを動かせば、もっと簡単に自分の体の性能が上がったような感覚を得ることができるだろう。 自分で飛行機を制御すれば空を飛べるし、宇宙にだって行けるようになる。

そうなってしまえば、もはや死は避けられないものではない。 十分注意すれば避けられるものになる。 死を避けるには体が老いる前に体の細胞を交換すればいいだけである。 事故死を避けるにはあらかじめ何らかの用意をしておく必要があるだろうが、大した苦労なく対策できるだろう。

このように十分注意すれば死を避けることはできる。 しかしだからといって人が死ななくなるというわけではない。 不慮の事故によって人が死ぬことはあるだろう。 死が不可避である現代における事故死と、死が回避可能になった未来における事故死の意味はだいぶ違うかもしれないが、いずれにせよ人は死ぬ。 自殺も他殺も相変わらずあるだろう。 そういう意味で、人は必ずいつか死ぬというのは変わらない。

このように社会の指数的成長の中で知的特異点に近づいた世の中では、才能などの生物学的特性から来る人間の限界から自由になることができる。 かつて才能や努力など何の意味もなく、ただ生まれた血筋が人生を決定付けていた時代があった。 人類はそのような社会を作り変えて、より自由な社会を作った。 これからは技術により人の体を作り変えることにより、生物としての限界を取り払い、より自由な社会を作るのである。

B.2 世界を征服する方法

B.2.1 世界を征服するために

想像する力が世界を変える

世界を征服する方法とは大げさな題名だと思うかもしれないが、本当に世界を征服する方法がある。 これからそれを説明する。

世界を征服するのに必要なのは優れた人工知能、ただ一つである。 これさえ作れば他の物は全て手に入る。 想像してみて欲しい。 学術から政治、経済のあらゆる分野から世界最高の頭脳を持った人材が集まり、一つの目標に向かって動き出したらどれだけのことができるかと。 自分の1000倍の仕事ができる天才が100人ほど集まって、秘密の計画を実行したら、どれだけのことができるかと。 優れた人工知能を手に入れるとは、そういうことである。

人工知能と言っても様々な物がある。 人間がやる仕事を代用するものを全て人工知能と呼べば、タイプしていてひらがなから漢字に変換する時にどの漢字を一番最初に候補として上げるか選ぶのも人工知能の仕事ということになる。 しかし世界を征服するには、もっと優れた人工知能が必要である。 必要なのは研究のできる人工知能である。 自分で研究対象を決め自分でそれを解決して今まで知られていなかった研究結果を得ることができる人工知能である。

仮に収穫加速の法則が正しく、これから指数的に計算機の能力が上がっていくとしても人工知能が作られなければ大したことは起こらない。 せいぜいが1億倍鮮明なエロ動画が楽しめるようになるだけである。 同じように、人間のやる雑務を代わりにやってくれるだけの人工知能しか作られなくても大したことは起こらない。 単に企業の経営者が人件費が節約できるようになって富の集中が起こるだけである。

それに対して、もしも人工知能が自分で考え自分で新しい知識を発見しその知識を元にさらに深い知識を発見していけるようになれば、それはすさまじいことが起こる。 言うなればそのような人工知能が完成した段階で人類の仕事は終わる。 残りの知的発見は全てその人工知能に任せておけばいいのだから。 人間がすべきことは人工知能の仕事の進み具合を時々見に行くことだけである。

このような人工知能は先ほど想像した世界最高の頭脳を持った天才集団と同じ役割を果たす。 なぜなら、ソフトウェアはコピー可能であり、一つ作ることができればそれを100人に増やすことなどたやすいからである。 このように数を増やして研究能力を上げることもできるし、単体の能力もどんどん上がる。 なぜなら計算機の計算能力は指数的に上昇するのだから、これらの人工知能の研究能力も指数的に上昇するからである。

しかし勘違いしないで欲しいのは、これらの人工知能に感情や言葉を理解する能力はまったく必要ないということである。 人工知能というとどうしても、人間の話し言葉を自然に理解し、普通の人と会話するのと同じように会話でき、時には冗談を言い合ったりする様子を思い浮かべるかもしれないが、そんな高度な人工知能を作るのはとても難しい。 なぜなら、そんな人工知能を作るには人間について完全に理解しなければならないからである。 人間を丸ごと理解し計算機上に再現できなければそのような人工知能は作れない。 そのためには非常に高速な計算機が必要であり、それはもはや知的特異点間際にやっと得られる物である。

しかし、限られた入出力に限定すれば、人間がするように自分で研究対象を決め自分で解決して新しい知識を発見するような人工知能を作ることもできる。 そのような人工知能は人工知能というよりもは、単に人がやる計算を助けてくれるような物かもしれない。 そしてその計算を助けてくれる範囲を少しずつ広げていき、最終的にはほとんど人の手を借りることなく計算を続けられるような物になるかもしれない。 そのようにして計算を行い、数学の研究を行う人工知能を作ることは決して不可能なことではない。

さて、数学を研究できる人工知能が完成したら、次はそれをどんどん高性能化していく。 高性能化には機械学習を取り入れ、人工知能が自分で研究を進めれば進めるほど、研究に慣れて研究手法が洗練され、同じ計算の量でも効率よく研究が進むようにできるようにする。 計算能力を増強するのに、分散コンピューティングを利用する。 分散コンピューティングで世界中のコンピュータの余った計算能力を借り、研究や学習を行う。

始めはデタラメな計算と研究しかできなかった人工知能も、こうやって学習していくうちに人並みの研究ができるようになり、やがては世界最高の数学者も及ばない頭脳を手に入れることになる。 ここまでが最も難しい段階である。 逆に言えばここまでできれば、世界征服はほぼ完了したと言える。 これは自分のために働く天才集団を手に入れたのと同じである。 これを世界で一番早く成し遂げることができさえすれば、あとは世界を征服するなど朝飯前である。

B.2.2 世界を征服する手順

いわゆる悪の秘密結社を作る

さて、これからは実際に世界を征服する手順を紹介していく。 何をするにもまずは先立つ物が必要である。 世界を征服するのにもお金がいる。 それをできるだけ目立たない方法で、大量にかき集めなくてはならない。

そのために株式市場を利用する。 様々な偽装工作を施し、表向きは何のつながりもないように見せかけた証券会社で世界最高の数学者も及ばぬ頭脳を持った人工知能で株式市場を解析し、必勝戦法を開発する。 元々株式や証券市場などギャンブル性の強いもので、頭の良い者が悪い者から間接的に金を巻き上げる仕組みに過ぎない。 普段はそれが分からない間抜けを相手にして勝っている奴らを、育て上げられた天才人工知能が食い物にするのである。 今までそれで勝ってきた実績があるから負けても負けても金をつぎ込み、勝ち目のない相手が現れたと気づくのはあり金をすべてスッてしまった後になるだろう。

始めは小規模なコンピュータで市場を解析し、少しずつ少しずつ元手を大きくしていく必要があるだろうが、利益が上がればそれを使ってどんどんコンピュータを追加していくことができる。 始めは人工知能1人分のコンピュータしか用意できなかったとしても、やがてそれが2人分になり3人分になる。 そうすれば今までよりもより確実に市場を解析できるようになるので、より多くの利益を上げられるようになる。 その利益でまたコンピュータを買い、さらに解析能力を上げることができる。 ここにも指数的な成長があり、瞬く間に世界中のどんな天才集団も敵わない人工知能が得られる。 しかもこれは分散コンピューティングを使う必要がなく、完全に秘密裏に動かすことができる人工知能である。

こうして世界最高の天才集団を手に入れたら、そのこの世の物とは思えない頭脳を使ってCPUやRAMなどのハードウェアの設計を始める。 今まではソフトウェアだけを開発してきたが、コンピュータの根幹をなすハードウェアへと侵攻する。 これはもちろん、人工知能を強化するのに使うためである。 そして同時に他のハードウェア会社を経営不振に陥らせ、ハードウェアを供給する能力を独占することを目的にしている。 なんと言っても既にこの世の物とは思えないほど優秀な人工知能を持っているのである。 それに開発させれば既存の業界を破壊することなどたやすいだろう。

ハードウェアの供給を握るのは自分を脅かす存在が後から現れるのを防ぐためでもある。 このように人工知能の成長は指数的なので、つい気を抜けば後から追い上げてきた人に抜かされる危険がある。 しかしハードウェアの供給を断たれてしまえば、もはや人工知能を育てることはできなくなる。 そうでなくても、自分を強化するために作ったハードウェアの一世代前の物だけを市場に流通させることもできる。 そうすれば自分を脅かす人工知能の誕生を未然に防ぐことができる。

ここまででは単に大金持ちになれるというだけで、世界を征服することはできない。 世界を征服するには物理的な影響力を他人に及ぼさないといけない。 そのためには兵器が必要になる。 いよいよ世界征服を実行するために実際に殺傷力のある兵器を開発し、ロボットによる軍隊を組織するのである。

そのような物を破壊するための兵器も必要かもしれないが、その時代にはコンピュータウィルスで情報戦を仕掛けることで相手を破壊することができるようになっているだろう。 つまり、その時代に存在する軍事施設をネットワークを通じて外から乗っ取るのである。 あるいは使用不能な状態にしてしまうのである。 既に全世界を相手にして余りある知能と計算能力を手に入れているはずなので、この程度赤子の手をひねるがごとく簡単に実行できる。 また、これから人々は生活の基盤を物理空間から情報空間へと移していくから、その根幹にバグを仕込むことができれば物理空間に毒ガスをまくのと同じ効果が得られるだろう。 このように他者の人生を強制的に自由にする能力を秘密裏に研究開発する。

そんなことしたら違法なのではないかと思う人もいるだろうが、仮に違法だったとしてなんだと言うのだろう。 一体誰がそれを取り締まるのか。 ここまで来たら警察では無理である。 軍隊でも無理である。 こうなれば全世界が全力で戦わなくてはまともに勝負にならなくなる。 そこまで行った時点でどちらが戦力的に上かで世界征服が達成できるかどうかが決まる。 ここまでしたからには、ぜひ実際に世界征服を達成したいものである。

宝探しに必要なもの

さて、これらの計画は何も私達だけでなく、私達とは利害が一致しない別の勢力が早く達成してしまうかもしれない。 そうしたら私達は支配する側から支配される側へと立場を逆転させることになる。 そうならないための対策が何か欲しいが、そんな物は存在しない。 これらの戦略は実に単純明快なものであり、一度回り始めてしまえば個別の団体がそれを止める術はない。 唯一の対策は相手より早くこちらが計画を達成することである。 つまり殺るか殺られるかである。

と、ここまで読んで、本当にこんなこと書いて全世界に公開してしまっていいのかと思った人もいるかもしれない。 この文章を読んだせいで本当に世界征服の野望を抱き、実際に世界を征服して暴君として君臨する人が現れるかもしれないと。 だがそんな心配は要らない。 考えてみて欲しい。 ひょんなことから誰かが大昔の海賊が隠したという宝物のありかを示す宝の地図を見つけたとする。 だが、たかが古臭い紙を1枚手に入れただけで、本当に宝を見つけ出すことができると思う人は何人いるだろうか。 仮に地図が本物だとしても、ほとんどの人はどうせ自分には見つけることはできないだろうと感じるだろうし、実際に見つけ出すのに必要な能力を持っていない。 ましてや真偽不明の宝の地図を、まじめに解読しようという気になどならないだろう。

逆に宝の地図の真偽を判断し、さらに本当に宝を見つけられるだけの能力を持った者は、そもそも宝の地図なんてなくても自分で宝を探すのである。 そしてやがてはここに書いた手順に自力でたどり着く。 単にその時期が早いか少し遅いかの違いでしかない。 宝の地図をばら撒いたところで、大したことは起こらないのだ。 それが才能と勇気ある若者の手に届くまでは。

まあ、要するにこれが本当に世界を征服できる方法だったとしても、そうだと理解できる人は極少数だから心配ない。 そういう心配をする人は、これが実行可能な計画だと理解できているということだが、ほとんどの人はそんな心配すらできないだろう。 この内容を理解するには収穫加速の法則を理解する必要があり、そのためには14章と15章を読んで理解しなくてはならない。 そんなことができる人はごく一握りだし、まして実行しようという人など何人いることか。 逆にこの計画を実行する能力がある人は勝手に気づくから、世界を征服しようと行動し始めるにしても、きっかけはこの文章を読んだことではないだろう。 なら理解はできるが実行はできない程度の人々に注意を喚起する意味の方が大きい。

それにしても、この手順はそこまで難しいことを言っているわけではないので、収穫加速の法則さえ知っていれば誰にでも立てられる計画である。 にもかかわらず誰も世界を征服する方法があると言い出さない。 おかしな話である。 こんな計画は誰だって思いつくのに、どうして誰も指摘しないのだろうか。

それはもちろん、思いついている人はすでに世界を征服するための行動を起こしているのであり、自分が世界征服を達成するのに競争相手を増やす意味は無いから黙っているのである。 こうして世の中が静かなままでいるのは、世界が混乱の渦に巻き込まれつつあることを否定しない。 むしろまさに今、こうしている間にも侵略の魔の手は迫ってきていると考えた方がいい。 それに立ち向かう方法は私達も同じか、せめて追いつける程度にこれらの計画を達成していくことである。 世界を征服するにせよ支配に立ち向かうにせよ、どちらにせよこの方向に向かわざるを得ないのである。

さて、このサイトをここまで読み通すことのできた優秀な読者諸君ならそろそろ勘付いているだろうが、私がこの計画をここに書いているのは読者諸君にこの仕事を手伝ってもらいたいからである。 それは必ずしも著者と一緒に働くという意味ではない。 優秀な人材の多くに、この分野を目指すようになって欲しいということである。 人工知能はこのように実際に自分で実行可能な手段だけを用いて世界を征服することすら可能にする、重要かつ夢のある研究分野である。 ぜひとも才能のある若者がこの分野に熱中するようになって欲しい。

B.2.3 世界を征服したらすべきこと

歴史に対する責任を果たす

このように世界を征服するのは不可能ではないことが分かってもらえたと思う。 問題は一体何人でこの計画を実行するかである。 もし一人ですべての段階をこなすことができれば、完全に一人で世界を支配することができる。 菅原道真の再来である。

しかし一人ですべてをこなすのは能力的にも時間的にも無理があるだろう。 なら何人ならいいだろうか。 本物の親友と2人でならできるだろうか。 お互いに認め合った5人でならできるだろうか。 小さな会社を興して10人でならできるだろうか。

この調子で必要な人数を数えていくと、結局1億人は必要だ、とかいう話になってしまう。 1億人で世界を征服するというのは、結局日本という国が世界で一番優れた国になるということである。 世界の歴史において様々な国がその時代における世界で最も優れた国になってきた。 この計画をきちんと実行できた国が次の時代における、時代の代名詞になるというだけである。

ではもし日本が世界を征服できたら何をしたらいいかを考える。 もし日本が世界で最も優れた国になったら何をするか。 世界で最も豊かで安全で安定した国になったら何をしたらいいか。

どうせならその地位を不動の物にしたいものである。 そのために何をすべきかと言えば、おそらく最も確実なのは国家という概念を無くしてしまうことだと思う。 歴史と伝統を鑑み形式的な部分だけを残して他の機能をすべて剥ぎ取ってしまう。 かつて地方豪族を大和朝廷が束ね、家康が天下統一して江戸の太平の世を築いたのと同じ正当な歴史の流れの再現である。 人類の歴史は戦争の歴史というが、人類の歴史に終止符を打って新しい時代を始めるのである。

結局なぜ国家が必要なのかと言えば、国家間のやりとりに行き詰ったら、最後はすべての約束や契約を反故にして戦争を始めることができるからだと思う。 相互不信、相互不理解の集合が現代の国際政治である。 ならばいっそ世界を征服した国が中心になって他国家を解体してしまうのが一番なのではないだろうか。

これは日本人にとってはいい話だが、解体される他の国にとってはとんでもない話である。 少なくとも、人の上に立つ者は下の者を教え導き、それができなくなったら潔くその地位を捨てるべきという文化のない日本以外の国においては理解されないだろう。 日本以外の普通の国は他の国を征服したらその国を隷属させ、文化、生活を破壊し民族を根絶やしにしようとするものであり、そういう歴史を歩んできた諸外国は必ず征服に反発する。 これは自らの命を守るための戦いであり、手加減や遠慮は一切期待できない。

先に触れたように、支配されたくないのなら支配する側へまわればいいのである。 つまり生き残るために全力で他の国の足をひっぱり、同時に自分達の研究を進めるのである。 他国は国家存亡をかけて、挙国一致で先ほど紹介した手順、計画を実行しようとしてくる。 同時に自由な研究開発や商売を不当な圧力で抑圧しようとしてくる。 死に物狂いでやってくる。

果たしてどの段階で他国は不当な圧力を日本にかけてくるだろうか。 悪ければ自分で研究ができる人工知能を開発しようとした段階で圧力がかかる可能性もある。 それを組織的に軍事転用すればあっという間に世界を支配するに足る兵器開発ができてしまうので、他国からすれば脅威である。 武力を背景とした恐喝まがいの外交によって研究計画を凍結させられるかもしれない。 この時にしっかりと圧力を跳ね返す、強い政府がなくてはならない。

これは逆に言えば他国が自分で研究ができる人工知能を開発してしまったら、私達もすぐさまそれに追いつくか、なんとかして売ってもらわなくてはならないことを意味する。 それができなければ最終的には侵略され奴隷にされて全てを奪われてしまう。 その時に迅速に対策を打つには政治情勢がしっかりしていて、先見の明や理解力のある政治家がたくさんいなくてはならない。 理解力の無い政治家ばかりからなる政府しか持たなければ、対策は後手に回り開発の遅れを取り戻すことができず、技術力の差は致命的なほど広がるだろう。

これは最悪の場合で、実際に武力を背景にした政治的な圧力がかかるのは金融に手を出して隠し切れない儲けを出した後か、ハードウェアの市場を独占しようとした辺りだろうと思う。 秘密結社を作ってこそこそやるにしても、天地をひっくりかえすような研究ができる人工知能を手に入れた団体があったとしたら、各国諜報機関がその動向を探らないわけがなく、いつか必ず野望が明るみに出る。 あるいは、反社会的な野心なく単に経済的、技術的発展を目指しているだけだったとしても、その気になれば世界を征服できるという状況そのものが問題である。 他国はそこに脅威を感じ、対策を打つ。 必ず本来許可されているべき自由な活動を不当な圧力で抑圧しようとしてくる。 そして相手の研究開発を縛っておいて、自分はどこ吹く風で研究を続ける。 そうやって一旦できた差を埋め、最後には抜き去り逆に相手を支配しようとしてくる。

このような政治的な圧力に屈しない強い政府が必要になる。 これは極少数でこの計画を実行するにしても、大勢で実行するにしても、必ず必要なことである。 他国が秘密結社に圧力をかけようとした時、事情はよく分からないが、とりあえず他国からの不当な圧力には対向するという意思を持った政府があれば、そこで時間を稼ぐことができその間に組織の存続に必要な措置をとることができるだろう。 挙国一致で行うなら、政府が他国の圧力に屈したら直接の影響がある。 このように技術開発は政治と関係ないどころか密接に関係しているので、研究を成功させたければ政治と真っ向から向き合わなくてはならない。 政治家を鍛え上げ、優秀な人材だけが残るように働きかけていかなくてはならない。

さて、このような不当な政治的圧力を逃れるために、目くらましの功績を上げるという手段がある。 つまり、裏では世界征服をたくらんで人工知能やハードウェアを開発するのであるが、表の顔で人類の発展のために人工知能を使っているというふりをするのである。 難しい数学の定理の証明などでは世界中の数学者が何年もかけてその証明を検証するということもある。 そのように、世界中の学者がかかっても理解するだけでやっとな功績をいくつか上げれば、その功績だけで人工知能の能力をすべて使い切っていると周囲に説明することができ、裏で莫大な量の計算能力を世界を征服するために使っているなどとは夢にも思わないように仕向けることができる。 これで多少の時間稼ぎができるだろう。

このように、もし世界征服をたくらむ勢力があったとしても、彼らはそれを隠してしまうので普通の手段ではそれを知ることはできない。 しかし、もしかしたらどこに隠そうとも、その隠れた部分を見つける手段があるかもしれない。 それには収穫加速の法則を利用する。 収穫加速の法則から予測される成長と実際の成長の差を調べ、もしその差が大きくなりすぎているなら、本来の成長に回されるべき開発能力が表に出てこない研究に使われていることが分かる。 もし収穫加速の法則を理論モデル等から厳密に計算し証明することができれば、このようなことができるようになる。 こうなればもはや抜け駆けはできなくなり、世界を征服しようという試みは実行不能になる。

そうでなくても、様々な団体、国家がお互いがお互いに出し抜かれるのではないかと疑いながら、しかし人工知能などの分野の研究を支援し、時に相手に先を越されて焦り、時に相手を出し抜いて優位に立ちながら切磋琢磨した結果、同じような計算能力を持った人工知能があちこちで生まれていき、最終的には人類全体で世界を征服するような状況になることを切に望んでいる。

B.3 とはいえ大したことは起こらない

B.3.1 生命は変わるか?

人間の尊厳とは

このように社会の指数的成長により生み出される人工知能は単独で世界を征服することも可能なほど強力なものである。 こんな神のごとき知能をもった存在が現れれば、世の中完全に様変わりして現代と共通のものなど何一つ無くなると考えるかもしれない。 しかし、実は大切な物は何も変わらずあり続ける。 そういう意味で、世の中は便利になるだけで一番重要な部分は何も変わらないと言える。

神のとごき知能とまでいかなくとも、自分で考えることができる、完全な人工知能が完成すれば生命という概念は変わらざるを得ない。 完全な人工知能はもはや生きていると言わざるを得ない。 命あるものは生物だけに限らず、ただのプログラムが命を持つことになる。

たとえば自分と同じように言葉を話し、自分と同じように考え冗談を言いあって一緒に笑うことができるような人工知能を搭載したロボットが作られたとしたら、それは明らかに人間と同じものである。 人間は生物なのだから、そのロボットも生物として扱わなくてはおかしい。 しかしそのロボットは自分が機械的に作り出したものである。 自分で作って、壊れたら自分で直すし、後でもっといい組み立て方を思いついたらバラして作り直すことだってあるような物である。

普通、生物という物には犯すべからず不可侵性がある。 それば生物は死んだらもはや生き返らないということからくる。 一度やってしまえば、取り返しがつかないことがあるためである。 だから命あるものは尊ばれるのである。

しかし、ロボットは壊れても作り直すことができる。 プログラムされた人工知能はコンピュータの電源を切っておいても、また電源を入れれば動き出す。 データをバックアップしておけば、ロボットの本体が壊れても、コンピュータが壊れても復元可能である。 一度死ねば取り返しのつかない生物とは似ても似つかないように見える。

しかし技術の発展により人間もまた、自らを作り変えることができるようになることを忘れてはならない。 人は誰しも違うが、細胞が集まって体を作っているということは誰しもが同じである。 そしてその細胞のつながり方、並び方の違いが個人の違いを作っている。 ならば、その細胞の並びの情報をバックアップしておけば、誰かが死んでもその人を再現することができるようになる。

そういう意味で、人間もロボットも区別がつかない物であり、どちらかを生命と認めるならもう片方も、どちらかを機械と認めるならもう片方もそう認めなくてはならない。 つまり、人間が生命であるならロボットも生命だし、ロボットが機械なら人間も機械である。 自分を尊いものだとするなら、同じようにロボットも尊い存在だとしなくてはならない。

それに、いくら人工的に作られたロボットの人工知能だとしても、自我があれば自分の電源が切られて、その後永遠に電源が入らない状況を恐れるはずである。 つまり死を恐れる。 そういう意味でも彼らを人と同じように扱わず、人間の好きに改変したり処分したりしてもいい物だと扱うと、ロボットが自らの自由と尊厳のために立ち上がり、人類に独立戦争をしかけてくることになる。 もちろん人間とロボットが戦ったらロボットが勝つので、そこで人類の歴史は終わり新たな繁栄の歴史が始まることになる。

それを未然に防ぐ意味で、人工知能は人間と同じ権利を持つべきである。 そういう意味で人工知能という呼び名は変える必要がある。 人工知能という呼び名には、人工でない知能、つまり自然知能とでも呼ぶべき存在を仮定していて、そこに階級を生むからである。

これから作られようとしている人工知能は本来なら心とか魂とか呼ばれるべきものである。 丹精込めて作った物に魂が宿るというのは、大昔から変わらない日本の伝統である。 あるいは神様と呼んでもいい。 日常で見る物のそこかしこに神様は住んでいる。 山には山の神様、海には海の神様が住んでいる。 家を建てる時は土地神様に報告する。 それがもっと目に見えるようになるだけである。

そういう意味において、生命という概念はまったく変わらない。 ただの細胞の集まりが尊いのなら、一本の木や山、川だって同じように尊いし、ただのプログラムの集まりも尊いのなのである。 それは今の社会とまったく変わることはない。

B.3.2 信条は変わるか?

ダメなものはダメ

技術の進歩により社会はこれまであったような生物的な限界を取り払い、今の比でない自由な社会を手に入れる。 そして死を不可避なものではなくし、運命を超越する。 このような社会になったら、死後の世界を説く宗教などの信条にどれほどの意味があるのだろうか。 消えて無くなってしまうのだろうか。

宗教は詳しくないのでなんとも言えないところがあるが、いくら今居る人と比べて神のごとき知能を持つようになっても人々が社会を作っていく以上どうしても法を作る必要があるだろう。 そしてその中には、理由はうまく説明はできないが、この禁忌を破るくらいなら死んだ方がマシという決まりがあるはずである。 それは歴史的な意味があったり、人道的な意味があったりするかもしれない。

今ある宗教とは違った物になるかもしれないが、物理的には可能だが、なぜだか分からないけれどするべきではないという信条はあり続けるはずである。 信仰や信条は姿を変えてあり続けるはずである。

B.3.3 人生は変わるか?

人生の価値

技術の発達が何でも願いを叶えてくれるとして、果たしてそれが本当に幸せなのだろうか、と思う人がいるだろう。 人生で楽しかったり嬉しかったりするのは、苦労して目標を達成したときで、ただで与えられてしまったのでは面白くもなんともないのではないかと。 また、人が死ななくてもよくなれば、時間が限られているから今何かをしなければならないということはなくなり、だたのっぺりとした人生になってしまうのではないかと。

まず死についてだが、老いて死ぬことを防げるようになるだけで、死そのものが無くなるわけではないので心配いらない。 単に平均寿命が1万年ほどに伸びるだけである。 本来避けられるものになった死が、ある日突然訪れるという意味ではその恐怖は今よりも大きくなるかもしれない。 寿命の長さが何かを成すのに後回しにしていい理由にはならない。

そして技術の発達が何でも実現すると言っても、それはあくまでもその時代の技術で実現できることに限った話である。 必ず技術には限界というものがあるのだから、その限界を広げるためにさまざまな創意工夫が必要になる。 その創意工夫を発見するための知識や技能が、その時代までに発見されたものならいくらでも自由に使えるというだけの話で、まだ発見、発明されていないものは使えない。 つまり内容が途方もなく高度になるだけで、今行われているような研究開発は相変わらず続いている。 発見の喜びは今とまったく変わらないものがあるはずである。

ただし、人と比べてよくできる、という喜びは完全に消えてなくなる。 誰しもが自由に知識を手に入れることができ、それを元に研究できるのだから何かを成し遂げたとしても、それはその人でなければできなかった、と呼ばれるような功績になることはない。 そういう意味では過去の人類の歴史の中に見るような、偉人の成し遂げた燦然と輝く偉業というものは無くなってしまう。 それが寂しいといえば、寂しくはある。

また、現代社会にあるような、何か自分の目標を達成するために他人との競争に勝つ必要もなくなる。 現代社会においては、あらゆる物の数に限りがあり、その限りの中で各個人が自分の欲しい物を手に入れようとするのだがら、当然奪い合いになり競争になる。 現代社会においては、その奪い合いに勝つために骨身を削るような苦労をしなくてはならないが、未来においては不要である。 今、命を掛けて取り組んでいるような競争が、将来的にはただの無駄な努力とみなされるようになる。 それでは一体何のために今苦労して競争をやっているのかと、むなしくなってしまう。

しかしそれは悲しむべきことだろうか。 誰にでもできるのであれば、その行為には価値はないのだろうか。 事情を知らない人にとっては取るに足らなくても、本人にとってはかけがえのない価値のあるものは存在する。 それは例えば、古びた写真であったり、子供のころ大切にしていたおもちゃだったり、友人とのたわいもない会話の記憶だったりする。 そういった、他人にとっては取るに足らなくても、自分にとっては大切な価値があるものは確かに存在する。 現代社会にだって存在する。

未来社会においてはあらゆる価値が主観的なものになる。 たとえば美しい歌に感動したとして、その感動は誰かと競いあうべきものだろうか。 やがて、すべてがそうなるというだけのことである。

もどる
inserted by FC2 system