第1章 数学1 数学とは論理的な構造の学問である

要約

数学とは様々な物の論理の構造を扱う学問である。その構造とは、言葉の構造だったり思考の構造だったり数の構造だったりする。

目次

1.1 論理の構造

1.1.1 理屈

論理的に考えること

数学というと数字を使って計算する学問だと思っている人が多いと思う。 確かにそういう面もありますが、数学の本質はそこではない。 数学は論理的な構造を扱う学問である。 そこでまずは論理とは何かについて考えていく。

論理というのは理屈のことである。 理屈というのは考えたらそうなるという、考え方の成り立ちのことである。 例えば、「勉強すれば頭が良くなる」と、「頭が良くなれば他の人にできない事ができるようになる」という文章が正しいことを言っているとする。 そうなると、理屈の上では、「勉強すれば他の人にできない事が出来るようになる」ということになる。 これは常識的に考えても正しいことを言っていると分かる。

他にも、「勉強したフリをして時間を潰しても頭は良くならない」と、「頭が良くならないなら役に立つ事が出来るようにならない」という文章が正しいなら、「勉強したフリをして時間を潰しても役に立つ事は出来るようにならない」ということになる。 勉強したフリをしても何も学ばないでいれば頭は良くならないし、頭が良くないなら別段特別な事ができるようにはならない。 これらの事象は直結していて、間を吹っ飛ばしてつなげれば、勉強したフリをしていても何の役にも立たない、という当たり前の結論が得られる。 長ったらしく言っていたのを、短くしただけである。

ここには共通した理屈の上での構造がある。 「こういう時ならそういう事である」、また「そういう事ならああいう場合である」。 これら2つの文章が正しいなら、「こういう時ならああいう場合であると言える」という理屈である。 間を縮めて長ったらしく言っていたのをまとめただけである。

こういう時とかそういう事とかは、具体的に言うと勉強する時とか、頭が良くなるとかにそれぞれ対応する。 でもいちいち、こういう時、とか言うのは少し長いので記号で表すと次のようになる。

○○なら××である。
××なら△△である。

これらの文章が正しいなら、

○○なら△△であと言える。

となる。 ○○や××や△△にはそれぞれ様々な文章が入る。 先ほどの例だと○○には「勉強する」、××には「頭が良くなる」、△△には「他の人にできない事ができるようになる」が入る。 ○○や××や△△にはどんな文章を入れてもいい。 重要なのは、最初の文章の結論の部分が、次の文章の条件の部分に来ていることで、××が2つの文章の中で共有されていることである。 片方の文章の結論が次の文章の条件になっているなら、間を飛ばしてつなげれば、新しい文章を作ることができる。 なぜなら理屈の上では、こうなればああなって、ああなったらそうなるという様に2つの文章はつながっているからである。

これが××の部分を省略して○○なら△△である、という新しい文章を論理的に考えて導き出せる理由で、この雛形に当てはまる場合なら、このような論理的な思考は常に当てはまる。 これは個別の具体的な場合を超えた、一般的な関係である。 ××や○○や△△にどんな文章が入ろうとも、このような文章の形に当てはまっているなら必ず成り立つ関係である。 このような、特別な場合によらない一般的な構造を扱うのが数学である。 理屈についての一般的な関係には様々なものがあって、それを扱う数学の分野は論理学と呼ばれている。

三段論法

それでは、このような論理の雛形にはどのようなものがあるのかを見ていく。 先ほど見たのは、

○○なら××である。
××なら△△である。
よって○○なら△△である。

という雛形である。 ○○とか××とか言うのも少し長いし、議論が複雑になったら記号が足りなくなるので普通はこのような場合はアルファベットを使って、

AならばBである。
BならばCである。
よってAならばCである。

という様に、書き表す。 AとかBには「勉強をする」とか「頭が良くなる」といった文章が入る。 このような方法で理屈を展開して議論をしていく論法は三段論法と呼ばれていて、これから様々な論理的な議論をしていくにあたっての基本的な論法になる。

三段論法によって様々な理屈を展開して新しい事実を導くことができる。 例えば、「時間が経つと食べ物が腐る」と、「食べ物が腐ったらもう食べられなくなる」という文章を考えてみる。 これも三段論法の雛形と同じ形をしている。 Aに「時間が経つ」、Bに「食べ物が腐る」、Cに「もう食べられなくなる」という文章を入れれば、

時間が経つならば食べ物が腐るである。
食べ物が腐るならばもう食べられなくなるである。

となって、日本語の文章が若干不自然にはなるが、意味は通っている。 そしてこれらの文章から、

よって時間が経つならばもう食べられなくなるである。

という結論が得られる。 日本語を少し直して分かりやすくすると、「時間が経つと物は食べられなくなる」という結論が得られたことになって、これは確かに正しい。

このように三段論法によって2つの文章をつなげて新しい文章を作ることができる。 このような論理的な議論は何段階に分けて行っても構わないし、結論からさかのぼるように議論していってもいい。 例えば、結論として「大学入試で合格できる」という結論が欲しいとする。 このような結論が正しくなる必要があるとする。 誰だって入試を受けるからには合格したいので、この結論は正しくなる必要がある。 さて、ではそのための条件とは何かを考える。 大学入試で合格したいなら、入学試験で十分な点数を取ればいいことになる。 つまり、「入試でいい点数を取れるならば大学入試で合格できる」ということになる。

しかし、つまるところこれは「試験で合格点を取れれば試験に合格する」と言っているだけで何の役にも立たない理屈である。 そこで、「入試でいい点数を取れる」という結論が得られるような条件が何か無いかを考えてみる。 議論を展開してもっと役に立つ結論を得たいなら「入試でいい点を取れる」という結論が得られる必要があるのである。 入試で点を取りたいなら、入試問題で正解にしてもらうのに十分な答案を書くことができればいいことになる。 つまり、「入試問題が解けるならば入試でいい点数が取れる」ということになる。

このように、2つの文章を論理的な議論によって作った。 「入試問題が解けるならば入試でいい点数が取れる」と、「入試でいい点数を取れるならば大学入試で合格できる」という文章である。 これも三段論法に当てはまる形になっているので、論理的な議論によって「入試問題が解けるならば大学入試で合格できる」という新しい文章を作ることができる。 確かに入試問題が解ければそれで点がもらえて合格点に達すれば合格できる。 得られたのは当たり前の結論だが、このように論理的な議論を展開し、三段論法の議論の雛形を利用することで議論を明確にすることができる。

さて、今やった論理的な議論で得られたのは「入試問題が解けるならば大学入試で合格できる」というものだった。 確かにこれは正しいことは正しいが、やはりこの理屈はあまり役に立たない。 そこでもっと議論を深めて、「入試問題が解ける」という結論が得られるにはどうしたらいいかを考える。 さらに議論を深めていくのに、「入試問題が解ける」という結論が必要なのである。 入試問題を解くには、十分な勉強をしておけばいいので、「しっかり勉強しておくならば入試問題が解ける」ということになる。 先ほどの文章と合わせて三段論法を利用すると、「しっかり勉強しておくならば大学入試で合格できる」ということになる。 少し言い換えると「しっかり勉強しておけば大学入試で合格できる」という文章になる。 このように論理的な議論によって勉強しておけば入試に合格できることがはっきりしたので、読者諸君も何か抜け道はないかなどと頭をめぐらせていないで、その時間を使ってしっかり勉強するようにして欲しい。

今行った論理展開をまとめると次のようになる。

しっかり勉強しておくならば入試問題が解ける。
入試問題が解けるならば入試でいい点数が取れる。
入試でいい点数を取れるならば大学入試で合格できる。
よって、しっかり勉強しておくならば入試問題が解ける。

これは三段論法よりもっと議論の段階が多い論理展開になっている。 このように、前提と結論が互い違いに出てくる文章なら、それらの途中を全て縮めて、議論の始めと最後をつなげてもいいのである。 このように論理を展開することにより、論理的な議論というものができるようになる。 ちなみに「AならばB」という文章のAは十分条件、Bは必要条件と呼ばれている。 欲しい結論が得られるように議論を進めていくとき、「ああなるならばこうなる」という文章の「こうなる」という結論が必要だったが、議論を進めていくのに必要な条件だから必要条件と呼ばれるのである。 逆に「ああなる」の部分はどんな場合なら「こうなる」と言えるのか、この場合なら十分に「こうなる」という必要条件が成り立つという様に何なら十分かを探すので十分条件と呼ばれる。

今行った議論は、三段論法という議論の雛形の性質を調べたことになる。 三段論法という、個別の場合によらない一般的な論法にはこのような、いくつもの議論をつなげていくことができるという性質を持っているのである。 これはこの論法の持っている本質的な性質、構造を見つけ出したことになる。 このような議論を行うことを数学と呼ぶのである。 つまり数学とは論理的な構造を扱う学問である。

背理法

三段論法によって「AならばB」であり「BならばC」なら「AならばC」という新しい文章を作ることができ、論理的な議論をすることができる。 しかしこのような議論によって直接議論するのが難しいような場合がある。 例えば「この世に神はいる」という文章を考える。 論理的に考えることによって神様の存在を確信することはできるだろうか、できないだろうか。 三段論法によってそのような議論をするのはかなり難しそうである。 このような場合に使う論法に、背理法というものがある。 これから背理法について説明していく。

さて、あるところで椅子取りゲームが行われていたとする。 椅子取りゲームとは、ゲームを行う人数分より1つ少ない数の椅子を用意し、そこにみんなで先を争って座り、最後まで座れないで立っていた人が負けというゲームである。 人が集まり人数分より1つ少ない数の椅子を用意し、ゲームを始めてみんなで椅子を取り合ったとする。 本当なら1人座れない人が出るはずなのだが、実際にやってみたら全員が座れてしまったとする。 椅子は人数分より1つ少ないのだから、理屈の上では必ず1人は座れない人がいるはずなのだが、そうはならずに全員座れているとする。 そんなことは理屈の上ではあり得ないはずなのだが、実際に起こっているとする。 さて、一体何が起こったのだろうか。

まず、全員が座れているのだから、椅子の数と人の数は一致している。 5人でゲームをしたなら椅子の数も5つだし、10人でしたなら椅子は10個である。 しかし用意した椅子の数は人数分より1つ少ない数であるはずであった。 つまり、5人でゲームをしたなら4つだし、10人でしたなら9個であるはずであった。

しかし実際には全員座れているのだから、椅子は人数分ある。 つまり、みんなで1人1つの椅子を持ち寄った後、人数分の椅子から1つ椅子を取り除いて1人分少なくしたつもりでいたのが、実際には椅子を取り除くのを忘れていて、人数分の椅子があるままゲームを始めてしまったのである。 だから椅子取りゲームなのに全員座れてしまったのである。 椅子取りゲームだから椅子の数は人数分より1つ少ないはずだという、議論の前提が間違っていたから理屈に合わないおかしなことが起こったのである。

ここには新しい論理展開のための議論の雛形がある。 それは、まず「これこれ」だと仮定する。 そうすると理屈に合わないおかしな結論が得られる。 これは始めに仮定した「これこれ」が間違っていたのだと分かる、という雛形である。 このような論法は背理法と呼ばれている。

先ほどの椅子取りゲームの例にあてはめると、「これこれ」という部分には「椅子の数は人数分より1つ少ない」という文章が入る。 そうすると、椅子の数が足りないなら全員が座れるはずがないので「実際にゲームをやったら全員座れた」という事実との間で矛盾が起こる。 ということは、始めに仮定した「椅子の数は人数分より1つ少ない」という仮定が間違っているのである。 つまり椅子の数は実は人数分あったということが論理的な議論によって結論される。

このような論法は「絶対にこうなるわけではない」とか、「少なくとも1つはこういう物がある」などといった文章の内容が正しいことを確かめるのによく使われる。 なぜなら「場合によってはこうなる」と仮定して議論を進めていって矛盾が起これば、背理法からどんな場合もそうなるわけではないことが分かるので「絶対にこうなるわけではない」ということになるし、「1つもそういう物はない」と仮定して議論を進めていって矛盾が起これば、「少なくとも1つはそういう物がある」ということが分かる。 背理法はこのような議論によく使われる。

例えば始めに上げた「この世に神はいる」という文章の例では、仮に「この世に神はいない」と仮定して議論を進めていき、それで矛盾が起これば「この世に神はいる」ということが分かる。 このように、神様がいるかいないかも論理的に考えることで確かめることができるのである。

数学的帰納法

他にも数学的帰納法という論法がある。 それは、「今こうだ」、「これからもこうだ」、という文章が正しいなら「ずっとこのままだ」という結論が得られるという論法である。 これについては第5章でもっと詳しく扱う。

1.1.2 論理的思考

論理的に必勝戦法を考える

さて、これまで論理展開の雛形について考えてきた。 それらを使えばいくつかの理屈に合う正しい文章から新しい文章を作ることができた。 しかし、元々の文章が正しいと言えるのはなぜなのだろうか。 今まで扱ってきた例は日常的な意味で考えれば確かに正しい文章ばかりだった。 考えてみれば、それはなぜなのかという疑問がわく。 これからその、正しいという感覚は一体どこからくるものなのかを詳しく考えていく。

大富豪というトランプゲームがある。 一応ルールを簡単に説明すると、トランプを何人かの人に配り輪になって座って、配られたカードをみんなで一人ずつ順番に出していき、最初に手持ちのカードを全部出した人が勝つというルールである。 カードは自由に出せるわけではなくて、自分の前の人が出したカードよりも強いカードしか出せない。 3が一番弱く、4、5、6、と強くなっていき、キングよりもエースが強く、2が一番強い。 カード出せない時、出せるけど戦略上出したくない場合は自分のカードを出す番をパスしてカードを出さないこともできる。 一人を残して他の全員がパスをしたら今まで出されたカードはわきにどけて、パスしなかった一人が自由にカードを出してまた同じようにみんなで順番にカードを出していく。 ジョーカーや同じ数字のカードを組にして出せるなど他にも色々なルールがあるが、話が複雑になるだけなのでルールはこれだけを考えることにする。

さて、この状況で論理的に考えれば絶対に勝てる状況というものがある。 例えば2人で大富豪をしていて、自分の持っているカードが6と7と8で、相手の持っているカードが3と4と5だったら絶対に勝つことができる。 なぜなら相手の持っている最強のカードは5で、自分の持っている最弱のカードが6なのだから、相手はカードを出すことができない。 つまり、自分がどのカードを出そうが相手はパスすることしかできないのだから、絶対に勝てる。 よって今の場合自分が絶対に勝てるというのは正しいことになる。

同じように自分がカードを出す番だったとして、自分の持っているカードが4と7と8で、相手の持っているカードが3と5と10だったら絶対に勝つことができる。 なぜなら、まず7を出し相手が10を出してきたらパスする。 手持ちのカードは自分は4と8、相手は3と5だから、相手が3を出そうが5を出そうが8を出せば相手はカードを出せなくなる。 そして最後に残った4を出せば自分の勝ちである。 もしも7を出した後に相手が10を出さなかったら4を出す。 そこで相手が5を出したら最後に残った8を出せるので勝ちである。 10を出してきたら自分はパスするしかないが、相手は次に3か5を出すのでやはり最後に残った8を出せるので勝ちである。

これをもう少し見やすく記号で書くことにする。 自分の持っているカードを自分「4、7、8」と書き相手の持っているカードを相手「3、5、10」と書くことにする。 カードを出すのを自分が出す場合は自分「4、7、8」→4(自分)などと書くようにすると、今の作戦は、

場合その1
自分「4、7、8」相手「3、5、10」→7(自分)
自分「4、8」相手「3、5、10」→10(相手)
自分「4、8」相手「3、5」→3(相手)
自分「4、8」相手「5」→8(自分)
自分「4」相手「5」→4(自分)

場合その2
自分「4、7、8」相手「3、5、10」→7(自分)
自分「4、8」相手「3、5、10」→10(相手)
自分「4、8」相手「3、5」→5(相手)
自分「4、8」相手「3」→8(自分)
自分「4」相手「3」→4(自分)

場合その3
自分「4、7、8」相手「3、5、10」→7(自分)
自分「4、8」相手「3、5、10」→パス(相手)
自分「4、8」相手「3、5、10」→4(自分)
自分「8」相手「3、5、10」→5(相手)
自分「8」相手「3、10」→8(自分)

場合その4
自分「4、7、8」相手「3、5、10」→7(自分)
自分「4、8」相手「3、5、10」→パス(相手)
自分「4、8」相手「3、5、10」→4(自分)
自分「8」相手「3、5、10」→10(相手)
自分「8」相手「3、5」→3(相手)
自分「8」相手「5」→8(自分)

場合その5
自分「4、7、8」相手「3、5、10」→7(自分)
自分「4、8」相手「3、5、10」→パス(相手)
自分「4、8」相手「3、5、10」→4(自分)
自分「8」相手「3、5、10」→10(相手)
自分「8」相手「3、5」→5(相手)
自分「8」相手「3」→8(自分)

となって、確かに絶対に勝つことができる。 論理的に考えることで相手がどんな戦略をとってきても勝てる戦略を見つけることができたのだから、もちろん絶対に勝てる。 なので、「こういう状況なら絶対に自分が勝つことができる」という文章は正しい文章だということになる。

さて、このように正しい文章を見つけるのに行った論理的な思考とは一体なんだっただろうか。 それは、全ての場合を考えるという行為だった。 論理的に考えて正しい文章を見つけるというのは、全ての場合をしらみつぶしに考えて、全ての場合で正しいことを見つけることなのである。 これが論理的に考えるという行為の正体である。

例えば「伊藤博文ならば男である」という文章は正しいことを言っている文章である。 なぜなら伊藤博文は男であり、伊藤博文は世界でただ一人であるのでこれだけで全ての場合について考えていることになるので正しい。 しかし「男ならば伊藤博文である」という文章は間違っている。 なぜなら伊藤博文でない男の例などいくらでもあって、全ての場合に成り立つわけではないからである。 論理的に考えるという行為は、このように当てはまらない例はないだろうかあるだろうかと頭の中で例を探す行為である。

このように、ある前提にある結論がついている場合、つまり「AならばB」という文章が正しいことを言っていたとしても、普通は結論と前提をひっくりかえした文章、つまり「BならばA」は正しくはならない。 例えば、「勉強したフリをしているだけであるならば何の勉強にもならない」というのは正しい。 フリをしているだけでは何の勉強にもならないのは明らかである。 しかし、「何の勉強にもならないならば勉強したフリをしているだけである」という文章は必ずしも正しいとは言えない。 なぜなら、しっかりと勉強していても、教材が悪くて身につかないだけである場合もあるからである。 正しくない場合があるのだから、この文章は正しいとは言えない。

他の例も考えてみる。 例えば、「その人は男であるならばその人は女ではない」という文章を考えてみる。 この文章は正しい。 どんな場合を考えても、その人が男であるなら、性別には男か女しかないから女ではないということになる。 どんな場合を考えても正しいのだから、この文章は正しい。

この文章の前提と結論を入れ替えてみると、「その人は女ではないならばその人は男である」という文章になる この文章もやはり正しい。 性別には男と女しかないのだから、もし女でないならばその人は男である。 よって「AならばB」の前提と結論をひっくりかえして「BならばA」という文章を作っても正しい場合もあるということである。

しかし、先ほどの伊藤博文の例のように、普通は前提と結論を入れ替えたら正しくない文章になる。 なので、もし前提と結論を入れ替えても正しいままという性質を持った文章を見つけたなら、それは非常に特殊で特別な場合だということである。 このような特別な構造を持つ場合、その条件と結論は本質的に同じものだということができる。 例えば、その人を男であると言うのと女でないと言うのは完全に同じ事で、単なる言葉のあやでしかない。 そういう、見た目がちょっと違っていて、本質的には同じ事を言っている場合は前提と結論をひっくり返しても正しさは変わらない。 しかしそれは特別な場合だけで、普通は前提と結論を入れ替えたら間違った文章になる。

数学において美しい関係というのは、このように本質的には同じなのにその見た目がちょっと違っていて、一見したただけではそれが同じ物だとは気付かない関係であることが多い。 一見すると全く別の物に見えるのに、深く深く論理を展開すると実はそれが同じものだと分かったときに、人は驚きと共に真理の奥深さを知るのである。

それはともかく、ここで言いたいのは、このように論理にはしっかりした構造があるということである。 普段あまり意識していないかもしれないが、筋の通った理屈を作るときはこのような論理の構造を知らず知らずのうちに使っている。 そして数学では、このような普段使っている人間の思考の理屈の奥にある、一般的な構造や規則を扱う。

1.1.3 論理の計算

カップラーメンを作ってみる

とはいえ、このままではあまり数学という実感が沸かないのが普通だと思います。 数学といえば、やはり数字を使った計算です。 ここではそれがどのようにして現れてくるかについて説明します。

上で見てきた論理は、いくつかの前提があり結論が導かれるというものでした。 例えば、カップラーメンにお湯を入れて3分待てば食べごろになる、という文章を考えてみます。 これは前提が2つある文章です。 1つ目の前提はカップラーメンにお湯を入れる、という条件、2つ目の前提は3分待つ、という条件です。 これら2つの条件が満たされているなら、ラーメンが食べられるのです。

さて、条件が2つあるのですから、これらを番号付けして並べてみます。

条件1:カップラーメンにお湯を入れる。
条件2:3分待つ。

こう書けばこの文章は、条件1と条件2が満たされたらラーメンが食べられる、となります。 具体的な文章の変わりに条件1とか条件2とかいう、抽象的な記号を使いました。 こういう抽象化の手法は普段の生活でも使いますね。 交渉の場面などでいくつも条件を並べ、条件その1、条件その2、条件その3、これらを守る事、とか、3番目の条件が厳しすぎるとか、そういうやり取りはごく自然に行われます。 このように条件を文章のままではなく、なんらかの短い記号に置き換えて考えたりやり取りしたりすると便利です。

ここで使う記号はなんでもいいのでもっと簡略化して、いっそ条件とすら書かずに1、2と書けば、1と2が満たされたらラーメンが食べられる、となります。 さらに簡略化を進め、1と2と書く変わりに1+2と書いたら、自然に数字と計算が出てきます。 条件が満たされたら結論になる、というのを条件→結論と書き、結論1:ラーメンが食べられる、として結論という字を略すと、1+2→1、と書けます。 →の左が条件で、右が結論です。 こうなれば数学らしい数式が自然に登場します。

もっと沢山の条件や結論を用意してみます。

条件1:カップラーメンにお湯を入れる。
条件2:3分待つ。
条件3:カップラーメンにお湯を入れて3分待つ。
結論1:カップラーメンが食べられる。
結論2:カップラーメンが食べられない。

こういう風に条件や結論に番号付けを行います。 こうすると、1→2だし2→2、3→1だということになります。 これはそれぞれ記号や数字を使わずに文章で書けば、カップラーメンにお湯を入れただけではラーメンは食べられない、3分待っただけではラーメンは食べられない、カップラーメンにお湯を入れて3分待てば食べられる、という文章になります。 表現をちょっと変えてますが、こういうことです。

さらに1と2という条件を同時に満たすことを条件とした時に3になるのだから、1+2=3という計算式を考える事ができます。 これは、1+2という条件と3という条件が同じ、という意味です。 算数で習ったように1と2を足したら当然3になります。 ここでは、その数字は条件を表しているのですが、やはり条件1と条件2を足したら条件3になるのです。

このように、ただ文章の正しさを考えていくだけで、自然に数字が出てきてそれらの数字の間の計算という考え方が出てきます。 ちなみに、条件の間の引き算を、その条件を取り除く操作だと考えると3−1=2だし、3−2=1です。 条件3は1と2を同時に満たすという条件なので、片方を取り除いたらもう片方になります。

このように、この計算規則は非常に上手くいくように見えるのですが、2−1という計算を考えてみると、これは1にはなりません。 2という条件は3分待つという条件で、そこからカップラーメンにお湯を入れるという条件を取り除こうとしてみても、どうしていいのか分かりませんね。 となると、これはもう例外的に2−1という計算はしてはいけない、と約束を決めるしかありません。

例外があるとなると、この計算規則はあまり美しくないと感じると思いますが、これは私が今勝手に作った計算規則で、数学の中で一般に使われている計算規則ではないのだからある意味当然です。 とは言え、一部分だけ見れば確かにこういう計算規則が上手くいくのです。 数字の計算が出てくると、誰が見ても数学だと分かると思います。 ですが、数字は本質的な問題ではありません。 数字を使って見ることができる、一般的な構造こそが数学なのです。 今の例だと条件という日本語の間に、数字の足し算と同じような構造があったということが重要なのです。 そのような構造があれば、そこに数字で番号付けをした時に足し算の計算規則が使えるのです。 元々の論理の構造に数字の構造と同じ構造がなければ、使えません。 そして、論理の構造の中に数字の構造と同じ構造があるとなったら、今度は逆に数字の構造を論理に当てはめていく事で論理の構造を分析することができるのです。 これは数字の構造の奥にある物と論理の構造の奥にあるものが同じだからできることです。

このように一見違った物同士の間にもなんらかの同じ構造があることがあります。 この、なんらかの同じ構造、のことを数学と呼ぶのです。 つまり数学とは論理的な構造のことなのです。

ちなみに、ブール代数という代数を2進数ではなく10進数としてやれば今の場合もきちんとした計算規則を作ることができる。

1.2 数の構造

1.2.1 四則演算

足し算、引き算、掛け算、割り算、というのは、2つの数字の間の関係のことです。 というのは、2つの数に対して、1つの数を対応させる、というのがこれらの計算の本質的な部分だからです。 例えば、1+2=3ですね。 これは、1という数字と2という数字が3に対応する、という対応規則なのです。 足し算の対応規則では、2と3には5が対応します。 8と9には17です。 極普通の足し算ですが、それは常に2つの数の対応規則になっています。 その対応規則を実際の数字の組に適用していくことを、計算する、と言うのです。 例えば、2+2=4だし、3+4=7です。 小学校で習う足し算です。 しかしここには数学的に面白い構造があります。 足し算の対応関係において、1と2に対応するのは3です。 2と2に対応するのは4です。 そして、3と4に対応するのは7です。 この、最後の3と4の対応について考えてみましょう。 3と4に7が対応するのはいいと思いますが、その3と4は1や2と対応関係がありました。 つまり、3と4が7に対応する、というのは、1と2が足し算の対応関係で対応する数と、2と2が足し算の対応関係で対応する数の間の対応関係のことなのです。 1と2が足し算の対応関係で対応するのは3で、2と2は4です。 つまり上の文章は、3と4の対応関係について言っているわけです。 このように、対応関係をどんどんつなげていくことによって、議論を深めていくことを数学というわけです。 それにしても、上の文章は非常に長ったらしくて、分かりにくいと思います。 論理的には、成り立っていますが、とても長い文章を読まないといけないので、とても大変です。 それを簡単に書くのが、数式なのです。 それには+という記号を使います。 普段使っている通りです。 むしろこっちの方法に慣れ親しんでいるので、言葉で表すよりも記号を使って書いた方が分かりやすいと思います。 1と2に対応する数は3、というのは1+2=3になります。 2と2に対応する数は4、というのは2+2=4になります。 3と4に対応する数は7、というのは3+4=7になります。 そして、1と2に対応する数と、2と2に対応する数に対応する数は7、というのは、(1+2)+(2+2)=7になります。 括弧は見やすくする為につけました。 括弧の中を先に計算する、という約束を使っています。 つまり、3+4=7というのを、3は、1と2の足し算、4は2と2の足し算なので、それが分かりやすいように書き直しただけです。 (1+2)+(2+2)=7を実際に計算してみましょう。 最初の括弧の中を計算します。 1+2=3なので、最初の括弧の中身は3になります。 つまり、(1+2)+(2+2)=3+(2+2)です。 後ろの括弧の中身を計算します。 2+2=4なので、括弧の中身は4になります。 つまり、3+(2+2)=3+4です。 そして、3+4=7となります。 つまり、1と2が足し算の対応関係で対応する数と、2と2が足し算の対応関係で対応する数を足し算の対応規則で対応させると7になるわけです。 今まで当たり前に行ってきた計算を、わざわざ難しく言っているように見えるかもしれませんが、ここでは数学の計算というものが、論理的なつながりのことであると強調するために、回りくどいような説明をしました。 他にも足し算には面白い性質があります。 それは数を足す順番を変えても結果が変わらないということです。 これも普段の計算の中で当たり前だと思っているかもしれませんが、実は当たり前ではありません。 自分で計算規則を作ったりすると、計算する順番によって結果が変わることもあります。 おいおい例を見ていきます。 今は足し算について見ていきます。 足す順番によって結果が変わらないというのは、(1+2)+3も1+(2+3)もどっちも6になるということです。 この性質を利用すると、足し算だけの式でなら、先に計算することを表す括弧を書かないですませることができます。 つまり、(1+2)+3=1+(2+3)=1+2+3ということです。 これは、1と2と3という三つの数の足し算における対応関係において、それをどういう順番で計算するか、という余計な情報を必要とせず、ただ単に1、2、3という数の種類と順番だけで対応関係が決まる、ということを意味しています。 別にそういう性質がない場合の数学的構造も考えることもできるでしょうが、そういう性質があった方がより面白い構造が見つかるようです。 足し算にはもう一つ面白い性質があります。 それは2つの数を足し算の対応関係で対応させるときの順番に結果がよらないという性質です。 つまり1+2も2+1も同じ結果になるということです。 これはよく成り立たない例があります。 ですが、足し算の対応規則では成り立ちます。 これは、さっきの性質と合わせて、足し算の結果は、足す数の種類にだけ関係して決まるということになります。 例えば、1、2、3を足した結果は、どう足そうとも常に6になります。 1+(2+3)も2+(3+1)も3+(1+2)も全部6です。 これによって、だいぶ計算が楽になりますね。 それでは、これらの性質を他の計算についても確認していきます。 引き算、掛け算、割り算についてです。 これらは、足し算と同じように、2つの数に1つの数を対応させる対応関係です。 ですが、これらは足し算とは少し違った性質を持っているものもあります。 まずは掛け算について見ていきます。 掛け算は足し算と同じように、計算の順番にも、数を対応させる順番にも結果がよりません。 つまり、例えば2×(3×5)も(2×3)×5も、(3×2)×5も同じ数に対応するということです。 引き算は足し算や掛け算とは違った性質を持っています。 引き算はどこを先に計算するか、2つの数を対応させる順番に結果がよります。 つまり、(6−3)−2と6−(3−2)は違う数に対応するのです。 実際に計算してみると、(6−3)−2=3−2=1ですが、6−(3−2)=6−1=5です。 もちろん、2−1と1−2は違う数に対応します。 この問題は、負の数を導入して、引き算を負の数の足し算だとすると解消されます。 そうなると、(6+(−3))+(−2)=6+((−3)+(−2))=1ですね。 また、2+(−1)=(−1)+2=1です。 2+(−1)と1+(−2)は対応させている数が違うので、もちろん違う数に対応します。 割り算も引き算と同じように、どこを先に計算するか、2つの数を対応させる順番に結果がよります。 例えば、(16÷4)÷2と16÷(4÷2)は違う数に対応しますし、4÷2と2÷4は違う数に対応します。 この問題も割り算を分数の掛け算とすれば解消されます。 分数は普通は横に引いた線の上下に数字を書いて表現しますが今はそれだとちょっと書きづらいので、斜めに引いた線を使って分数を表します。 2分の1は1/2になります。 例えば、(16×(1/4))×(1/2)=16×((1/4)×(1/2))=2ですね。 2×(1/2)=(1/2)×2=1です。 引き算のときと同じように、4×(1/2)と2×(1/4)は対応させる元の数が違うので同じ結果を与えません。 これまでは当たり前に使ってきた四則演算を、2つの数に1つの数を対応させる数学的な対応関係として見直してきました。 それでは、1と2に3ではなく4を対応させる対応関係を考えることはできないのでしょうか。 1と1に2、2と3に6を対応させるような対応関係です。 実はできます。 それをこれから見ていきます。 1と1に3、1と2に4、のように普通の足し算より1大きい数を対応させるのです。 その計算を*で表します。 普通の足し算は+で表しますが、この計算は普通の足し算とは少し違うので、ちょっと違った記号を使って表します。 そうすると、1*1=3だし、1*2=4ということになります。 この計算が普通の足し算の性質と同じ性質を持っていることを確かめます。 どこから先に足しても同じ結果になり、対応させる2つの数の順番に結果がよらないという性質です。 例えば(3*4)*2=3*(4*2)=11です。 また、1*2=2*1=4で、順番を前後してもやはり同じ数になります。 つまり、この計算は矛盾無く定義することができるのです。 僕の作った計算規則です。 このように、論理的な関係を作っていくのが数学の本質です。 こんな対応規則は別に誰にでも思いつくような、単純なものだし、それが成り立つ背景として普通の足し算が成り立つことが必要ですから、普通の足し算の代わりになるわけでもない、大して意味のない計算です。 しかし、もしもこれがある物理現象を計算するのに非常に役に立つことが分かったら、実際に僕の名前のついた計算規則として残ります。 可能性は薄いですが、まあ、そんなもんです。 これまでは、ある計算規則で2つの数に対応する数がなんなのかを見てきました。 逆に、はじめに2つの数を与えて、何がそれに対応するかで、どんな計算が行われたか知ることができます。 例えば、1と2に対応する数が3のときは、足し算が行われています。 引き算でも掛け算でも割り算でも、1と2に3は対応しません。 他にも、3と4に12が対応したら掛け算が行われたことになります。 こういう話は次の、代数の項目でくわしくやります。 最後に2つの数に対応する数からどのような計算が行われていたのかを当てるクイズのアプレットを貼っておきます。 実際に自分でいろいろやってみてください。

1.2.2 等式

四測演算にある論理構造について。 負の数、絶対値。 等式という意味。 右と左が同じだという意味。 対数と指数を定義する。

の項目でやります。

1.2.3 不等式

右と左が違うという意味。 三角不等式。

1.3 思考の構造

1.3.1 代数

x+3=2 の意味。

前項で四則演算について勉強しました。 それは、2つの数に1つの数字を対応させる対応規則のことでした。 1と2に足し算の対応規則で対応する数は3で、掛け算の対応規則で対応する数は2です。 それはいいと思います。 今後考えるのはその逆です。 つまり、どんな数の組が足し算の対応規則で3になるか、です。 足し算で3になる数の組といえば、さっき見たように1と2などは足し算の対応規則で3になりますし、0と3などもそうです。 足し算で4になる数の組は、0と4、1と3、2と2などがありますね。 このように、足し算の対応規則である数に対応する数の組はたくさんあります。 ですが、例えば、1とその数を足し算したら5になる、という数は4しかありません。 確かに1と4を足し算したら5になりますし、他の数では5にはなりません。 これから、こういう風に、足し算などの計算規則によって対応する数の方が先に分かっているときに、足し算の計算に使った元の数がなんだったのかを考えるということをよくやるようになります。 この、1とある数に足し算の対応規則で対応する数は5、という文章をもっと短く書くにはどうしたらいいでしょうか。 1と4を足し算の対応規則で対応させたら5になる、という文章は次のように表しました。 1+4=5 では、1とある数を足し算の対応規則で対応させたら5になる、という文章は、単純に考えると次のように表せます。 1+ある数=5 ある数を足す、と言っているのですから、4の代わりにそのまま「ある数」と書きました。 これならだいぶ短くて読みやすいです。 他にも例えば、2とある数を足し算の対応規則で対応させたら4になる、という文章は2+ある数=4と表せますね。 ここで言うある数、というのは、2のことですね。 2+2=4なのですから見比べると、ある数、というのは2のことです。 2と足して4になると言ったら2以外にはありませんね。 このままずっと、「ある数」と書いていてもいいのですが、こういう、「ある数」を何種類も考えたりすると大変だし、まだ少し長いので、「ある数」と書かずにアルファベット1文字を使って、xと書きます。 つまり、1とある数を足し算の対応規則で対応させたら5になる、というのは次のように書きます。 1+x=5 他にも、2とある数を足し算の対応規則で対応させたら5になる、というのは2+x=5と書きます。 4+x=6、1+x=9、など、なんでもありです。 これからはこのように、よく分からない、なんらかの数字の代わりにxなどの文字を数式の中に使っていきます。 この、xのことを、数字の代わりに使うので、代数と呼んだりします。 代数の入った数式のことを代数方程式とか、方程式とか言います。 これは単なる言い方の約束で、物理の中では実はあんまり厳密に言い表されることもないような気がしますが、覚えておきましょう。 さて、このようにして、式の中に最初からそれがいくつなのか分かっていない数字を使うことができるということが分かったと思います。 これから、このよく分からない数が具体的に一体いくつであるのかを見つけ出す方法を考えていきます。 このように、xのような、よく分からない数が具体的に一体いくつなのかを見つけることを、代数方程式を解く、方程式を解くと言います。 そして、得られた答えを方程式の解と言います。 解は「かい」と読みます。 それでは簡単な場合について方程式を解いて解を求めていきましょう。 例えば、x+5=8という方程式を解いてみましょう。 探さないといけないのは、その数と5を足すと8になる数です。 とりあえず手当たり次第に考えていきます。 例えば1は5を足すと6になるので違います。 xはもっと大きな数です。 5は5を足すと10で、8を越えています。 xはもっと小さな数です。 では、3だったらどうでしょうか。 3は5を足すと8になります。 ちょうどぴったり8です。 なので、xは3ですね。 こうやってあてずっぽうで方程式を解くこともできますが、あまり効率的な方法とは言えません。 ですが、この方法でも解くことはできます。 解けるか解けないかと言ったら解けます。 試しに、この方法で解を見つけるアプレットを貼っておきます。 整数を使った方程式なら、必ず答えが得られます。 試してみてください。 アプレット貼り付け予定地 さて、これで効率的ではないとしても、どうにかすれば方程式の解を見つけることができるということは分かったと思います。 ここでは、もう少し効率的に解を求める方法を紹介します。 それは、論理に裏打ちされた数学的な関係を利用する方法です。 x+5=8という例の場合、xは3になりました。 ですが、それはいったん忘れて、この数式を、xというよく分からない数が持つ、論理的な関係だと思って見直してみましょう。 つまり、x+5=8という数式を、xという数は5を足すと8になるという性質を持っている数である、という論理的な関係を表していると考えるわけです。 ある数に5を足したときに8になるとします。 だとしたら、疑問が1つわいてくると思います。 それは、もし5の代わりに6を足したら、xはいったいどんな数になるのだろう、という疑問です。 さっきよりも1大きい数を足すわけです。 xはよく分からない数ですが、それが1でも2でも3でも4でも、どんな数だったとしても、5よりも1大きな数を足したら、5を足したときよりも1大きな数になるはずです。 8より1大きい数になるのですから、結果は9になるはずです。 つまり、x+5=8ならx+6=9になるはずだ、ということが論理的に分かります。 この様子を数式を使って書いてみます。 6は5よりも1大きい数です。 つまり5に1を足したら6になる、ということで、この関係を式で書くと5+1=6です。 それでは、これをxに5よりも1大きい数を足したら9になる、という関係を式に書くのに使ってみます。 x+5+1=9、ということですね。 この式の5+1の部分を先に計算してみます。 そうすると、この式はx+6=9となります。 xという数に6を足すと9になる、ということです。 逆にx+5の方を先に計算することもできます。 xはどんな数かは分かりませんが、とにかく5を足すと8になるということだけは分かっています。 それが、今、xという数が持っている数学的な関係を探すための前提となっている条件だからです。 その条件が成り立たない場合を今は考えていないので、もちろんそうなります。 となると、x+5+1=(x+5)+1=8+1=9、という関係が成り立ちます。 結局、x+6=9となります。 これはx+5=8という関係が成り立っているなら、必ず成り立つ数学的な関係です。 xという数は、こういった数学的な関係をもっている数なのです。 だんだんと、数学本来の目的である、数学的な関係の構築が進んできました。 さて、このようにしてxの満たす様々な関係を見つけることができます。 例えば、x+7=x+5+2=(x+5)+2=8+2=10だし、x+12=x+5+7=(x+5)+7=8+7=15です。 こういう関係が成り立つのは確かなのですが、5よりも大きな数を足したときにどうなるかが分かってもあまりうれしくはありません。 知りたいのはxに0を足したとき、すなわちxそのものがいったいどんな数に対応するかだからです。 そのためにはxに5よりも小さな数を足した時にどうなるかを考えないといけません。 さっきと同じ理由で、xに5よりも1小さい数を足したら、結果は8より1小さい数になるはずです。 となると、x+5+(−1)=(x+5)+(−1)=8+(−1)=7、となります。 では、xに5よりも5小さい数を足したら、x+5+(−5)=(x+5)+(−5)=8+(−5)=3、となります。 また、5+(−5)の方を先に計算すると、x+5+(−5)=x+0=xとなり、前項の四則演算の項目でやったように、足し算は計算する順番をかえても結果が変わらないので、これが3と同じになります。 つまり、x+(5+(−5))=(x+5)+(−5)であり、x+(5+(−5))=xで、(x+5)+(−5)=3なのですから、これはx=3を意味しています。 これはxと3が同じ数字である、という意味です。 つまり3はこの方程式の解だということが分かるのです。 このようにして、方程式を解くことができます。 方程式を解く手順の中で、2つの方程式を使ったりしてきました。 例えば、x+5=8のとき、x+5+1=8+1=9になる、というときです。 x+5が8になるのですから、x+5+1は8+1になります。 このように、ある数式の満たす関係を違う数式の中で使うことを代入と呼びます。 =の左右は同じ数字なので、もし別の数式の中に別の数式の=の左側と同じ関係が出てきたら、それを=の右側に置き換えていい、ということです。 逆に右側が出てきたら左側とおきかえていいのです。 具体的に例を見てみます。 x+5=8となるとします。 また、3+5=8という関係は常に成り立つ関係です。 となると、単純に8とx+5をおきかえて、3+5=x+5という関係が成り立つこともわかります。 もっと単純な例を考えると、4+6=10という関係は常に成り立ちます。 また、6−2=4という関係も常に成り立ちます。 となりと、最初の足し算の4と6−2を単純に置き換えて、6−2+6=10という関係が得られますが、もちろんこの関係は成り立っています。 論理的に考えるまでもなく、単純な置き換えが正しい結果を与えます。 これはとても便利な方法なので、これからはどんどん使っていきます。 このように、論理的に考えていけば、あてずっぽうによっていろいろな数を試さなくても解が求まるようになります。 それでは、もっと複雑な方程式を解いていきましょう。 例えばx−8=5という方程式を解いてみます。 引き算の入った方程式です。 今まで考えてきた方法を使えば、x−8+8=5+8=13となり、x=13であることが分かります。 これはxと13が同じ数であることを示しているのであって、13がこの方程式の解であるということです。 他にも、掛け算や割り算の入った方程式も考えてみます。 例えば3×x=18という方程式を解いてみます。 こういう方程式も、先ほどまでと同じように代入によっていろいろな関係を導くことができます。 例えば、3×x+2=18+2=20などです。 しかし、この方法では、x=何かの数字、という形の式にはなりません。 もし、x=何かの数字、という形の式が導けたら、xがどんな数字なのかはっきり分かります。 その為には、分数の掛け算を考えます。 例えば3×xに1/3を掛けると、3×x×(1/3)=18×(1/3)=6となります。 また、掛け算は掛ける数字の順番を変えても結果が変わらないので、3×x×(1/3)=3×(1/3)×x=xですね。 これを3×x×(1/3)=6という関係に代入すると、x=6になります。 よってxは6です。 確かに3×6=18なので、合ってますね。 今度は割り算の入った方程式を考えます。 例えばx÷5=3などです。 x÷5=x×(1/5)なので、今度は5を掛けた場合の関係を考えます。 そうなると、先ほどと同じようにx=15という関係が得られます。 やはり、15÷3=5なので、きちんと元の方程式を満たす、きちんとした解です。 ところで、代数方程式の書き方として、掛け算は略すという約束があります。 つまり、3×xを3xと書くのです。 割り算は分数を使って書きます。 x×(1/3)はx/3と書きます。 このように書くと、式が簡単になって見やすくなります。 もっと複雑な方程式について考えていきます。 例えば5x+2=12という方程式を解いてみます。 これは5×xという数に2を足したら12に対応する、という意味です。 掛け算と足し算が組み合わさっています。 これも、今までのやり方で解くことができます。 5x+2−2=12−2=10なので、5x=10となります。 5x×(1/5)=10×(1/5)=2ですね。 なので、x=2が解になります。 5×2+2=12なので、元の関係を満たしますね。 このようにして、どんどん複雑な方程式も解くことができます。 これまでは分からない数は1つだけでした。 それをxで表しました。 これからはさらに多くの分からない数の間の関係を考えていきます。 足し算などの四則演算は2つの数に1つの数を対応させる計算でした。 今までは、その2つの数のうち、どちらか片方が分からない場合について考えてきました。 それでは、そのどちらも分からなかったらどうなるでしょうか。 その2つ目の分からない数を、やはりアルファベット1文字を使ってyと表します。 xはもう使っているので、別の文字を使わないといけません。 アルファベットの順番ではxの次はyなので、別にどれを使ってもいいのですが、yを使います。 それではそういう書き方を使って、式を書いてみます。 例えば、x+y=7という関係について考えてみます。 これはよく分からないxという数と、よく分からないyという数を足すと7になるという意味です。 こういう関係を満たす数はなんでしょう。 とりあえずあてずっぽうに考えていきます。 もし、x=0であれば、y=7であることは確かです。 xとyにそれぞれ、0と7を代入すると、0+7=7となって確かに元の関係を満たします。 ですが、例えばx=1、y=6のときもこの関係は満たされます。 1+6=7なのですから、当然です。 このようにして考えると、いくらでもこの関係を満たすxとyの数の組があります。 それをもっと分かりやすく見てみましょう。 x+yが7になるのですから、x+yからxを引いたら、7よりもx少ない数になるはずです。 今までは1とか2とか3とかの、はっきりと分かっている数を引いたり足したりしてきましたが、たとえまだそれがどんな数なのかわかっていなかったとしても、xという数は確かに1とか2とか3とか4とかの、普通の数なのですから、それを引いたときにどうなるかを考えることができます。 ただ、そうやってxを引いた後の数がなにになるのかはまだよく分かりません。 なぜならxがまだよく分からない数だからです。 さて、では実際に計算してみましょう。 x+y−x=(x+y)−x=7−xで、x+y−x=x−x+y=y でもあるので、結局y=7−xになります。 途中で、x+y=7という関係を代入したり、足し算と引き算の順番を変えたりしました。 この、y=7−xという関係は、よく分からないyという数は、7から、よく分からない数であるxを引いた数と同じ、という意味です。 xとyはよく分からない数ですが、こういう関係を満たす数だ、ということです。 これは、xとyは、ただのよく分からない数ではなく、こういった数学的な関係をもった数だ、ということを意味しています。 つまり、ここには数学的な構造があるのです。 数学的な構造とは、論理的に考えて成り立つ関係の集まりのことです。 それを具体的に見てみます。 y=7−xという関係が満たされているなら、yに3を足したら10−xという数に対応します。 つまり、y+3=10−xです。 このように、yという数がまだ分かっていなくても、それが必ず満たす関係を導くことができます。 これが数学的な構造というものです。 さらにy=7−xという関係をよく調べてみましょう。 yもxもよく分からない数です。 ですが、もしx=1なら、その関係をy=7−xに代入するとy=7−1=6となり、yは6でないといけなくなります。 もしxが1ならyは絶対に6です。 そうでないと、論理的な矛盾が生まれます。 ですが、xは1とは限りません。 xはよく分からない数だからです。 xはまだよく分かりませんが、このように、y=7−xという関係は、xがどんな数が分かればyが分かる、ということを表しているのです。 それでは、具体的にxとyがどんな数なのか知るにはどうしたらいいのでしょうか。 今のままでは無理です。 なぜなら、xがたとえどんな数だったとしても、y=7−xという関係を使えば、x+y=7という関係を満たすyが見つかるからです。 ですが、もし、xとyの満たす関係が他にもあるのならば、具体的にどんな数なのかわかるようになります。 例えば、xとyは、x+y=7という関係の他に、x−y=1という関係を満たす数だということが分かったとします。 ある数とある数を足したら7になり、引いたら1になる、ということです。 こういう数はいったいなんでしょうか。 論理的に考えていくと、ある数からある数を引いたら1になる、と言っているのですからxとyは、2と1、3と2、のように片方が片方より1だけ大きな数になるはずです。 その上で、足したら7になるのですから、あとはあてずっぽうで試していくと、4と3の組以外にはありません。 xは4で、yは3です。 実際、4+3=7だし、4−3=1で、満たすべき関係をすべて満たしています。 逆に、これ以外の数では、片方の関係式を満たすことはあってももう片方の関係式が満たされません。 それでは、もっと論理的な方法でこの方程式を徒居てみます。 x−y=1という関係式から、(x−y)+y=1+yとなり、x+(−y+y)=xなのですから、つまりx=1+yです。 このxの満たす関係をさっき求めたyの満たす関係である、y=7−xに代入します。 そうすると、y=7−x=7−(1+y)=7−1−y=6−yとなります。 つまり、y=6−yです。 これは、yは6からyを引いた数と同じ、という意味です。 yはまだよく分からない数ですが、xと同じように違う数に足したり引いたりできます。 それでは、yをyに足してみます。 y+y=(6−y)+y=6+(−y)+y=6です。 つまりy+y=6ということです。 また、y+y=2×yですね。 同じ数を2つ足すのも、元の数に2を掛けるのも同じですね。 となると、2y=6です。 1/2を掛けた数を考えると、2y×(1/2)=6×(1/2)=3で、y=3となります。 少し議論が長くなったので、何をやったのかまとめます。 これは、x+y=7という関係の他に、x−y=1という関係も満たすyは3しかない、ということです。 yが3だということは分かったので、それをxとyの関係に代入してみます。 そうすると、x+3=7と、x−3=1という2つの関係が得られます。 これも今までと同じ方法で解くと、x+3+(−3)=7−3=4となり、x=4となります。 もしくは、x−3+3=1+3=4となり、やっぱりx=4となります。 このようにして、x+y=7という関係の他に、x−y=1という関係も満たすxとyは、4と3しかない、ということが分かります。 1つの関係しかなかったときはxとyが具体的にどんな数なのかは分かりませんでした。 それがもう1つの関係を追加したら、今度は具体的にどんな数か分かるようになりました。 証明はしませんが、xやyなどの代数の種類と同じだけの数の関係が分かっていれば、それらの代数が具体的にどんな数なのか分かります。 このようにして、分からない数の個数、つまり代数の数をどんどん増やしていくことができます。 さっきは2つでしたが、3つや4つの代数が関係してくる方程式を考えることもできます。 3つの時は、x、yと来ているのですから、アルファベット順で考えるとzを3つ目の代数に使います。 4つの時はA、B、C、Dなどのアルファベットを使うことが多いようです。 それらの代数が入った代数方程式を解くためには、それらの代数の数と同じ数の関係が必要です。 2次関数の説明。 だいたいこれくらいで、次の章で勉強しようと思っている物理を理解するのに必要な代数の知識は十分だと思います。 ここまで勉強すれば、少し概念を拡張することができるようになります。 今まで、xとかyとかいう代数は、何か1つの具体的な数だと思ってきました。 ですが、xやyを、ある数の集まりの中ならどれでもいい数、と考えることもできます。 詳しくは関数の項目でやります。

1.3.2 方程式

x+y=5&2x+y=8 x2+4=8 など。

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