第2章 物理1 なぜ物理に数学が使われるのか

要約

物質の量を表すのに数が使われるが、それは数の持つ構造と物の量の持つ構造が一致するためである。また現実の構造と数学的な概念の構造が一致すればそれによって物理を数学で表すことができる。

目次

2.1 物理量

2.1.1 物理量の数学

物理というと難しい数式が舞い踊る、難しい学問だという印象を持つ人が多いと思う。 事実、物理にとって数学は必要不可欠で、切っても切り離せない密接な関係がある。 なぜ物理に数学が使われるのかについて説明する。

数学と言って真っ先に思い浮かぶのは数式や計算式だろうと思う。 数式というのは、例えば

32+42=52

のような、数と数の間にある関係のことである。 そして物理は自然現象を数で表して扱う。 例えば、質量、速度、温度、電圧、のように、物理的な対象を数で表す。 質量は、物の動きにくさ、速度は物がどれくらいの速さでどの方向に動いているか、温度は物の熱さ冷たさ、電圧は物に電気を流そうとする力のことである。 これらの数には単位がついている。 質量なら1kg、電圧なら1Vなど。 そして、これらの数の間に関係を見つければ、物理的な対象を数学を使って議論することができるようになるわけである。 例えば、1kgの物を速さ60km/hで投げると何m飛ぶ、など。 ちなみに、このような物理的な対象を表す数を物理量と呼ぶ。

これだけでも物理に数学が使われる実用的な説明になっているが、ここではもっと深い理由について考えていきたい。 物理量を数で表す、という行為は本質的には何をやっているのだろう。 実は、物質同士がお互いに与える影響を表現したものが数なのだ。 そして数の間にある関係にまで議論を発展させると、物理に数学を使えるようになるのである。

今後は質量を例にとって議論を深めていく。 同じ議論は他の物理量についても成り立つ。

これからの議論は、実際に何かを手に持ちながら読んでいって欲しい。 例えば本を1冊手に持ってみて、いくらかの重さを手に感じたとする。 2冊持てば、もちろんもっと重い重さを感じる。 もし2つが同じ本なら、重さも同じなので感じる重さは2倍になる。

本を持っている写真の貼り付け予定地

同じ本と言っても実際には微妙に作りが違うはずで、2つの本が本当に完全に同じ重さを持っているということはないのだろうが、仮に厳密に同じだとする。 すると、この2冊の本を同時に持ったら、1冊の時と比べて感じる重さは2倍になる。 同じ重さの本を2冊持っているのだから、当然である。 だが、ちょっと考えてみて欲しい。 今比べているのは、本を手に持った時に感じる重さという、物理的な状況である。 ある状況で感じる重さと、別の状況で感じる重さの間に、2倍という数学的な関係があるのだ。 このように、物理的な状況を観察すると、自然に数学的な概念と結びついてくるのが分かる。

仮に今ある1冊の本を厳密に複製できるものとする。 すると、この本何冊分の重さ、という表現であらゆる重さを表すことができる。 「本1冊分の重さ」を1としたら、「2冊分の重さ」は2と表現できる。 同じ様に本の数を増やしていけば、いくらでも大きな重さを表現できる。 g(グラム)やkg(キログラム)と同じように、本の冊数が重さの単位となった。 このように、ある物理的な状況を基準にすることで、物理的な量を数で表すことができる。 これが、物理に数学が使われる理由の一つである。

2.1.2 の数学

実際に起こっていることは本を手に持っている、というただそれだけの現象です。 その本を工夫することによって、重さを数字で表すことができるようになるのです。 物理量を数字で表す事が出来れば、それらの間の関連性を考える事が出来ます。 その関連性を扱うために、数学を使うことができるわけなのです。 ですが、物理と数学の関連は数字の取り扱いなどという、表面的な内容にはとどまらず、もっと深い関連があります。 今の場合、重さを本の冊数で数えています。 数えているのだから、1、2、3といった様に重さに対して数字を対応させることができるようになります。 重さ1と言ったら、本1冊分の重さ、重さ2と言ったら、本2冊分の重さ、という事です。 しかし、現実に目の前にあるのは、本なのであって、数字ではありません。 本を1冊持っている状態と、本を2冊持っている状態は明らかに違う状態であって、その本質は1と2の違い、というような数字の違いではなく、本という物質の存在の有無です。 1冊の本を持っている状態と、2冊持っている状態とを写真に撮って見比べれば、その違いに気付くことができます。 それは数を数える事が出来なかったとしても、違いは理解できます。 そのようにして、3冊、4冊、5冊の本を持っている状態を写真に撮っていき、その状態に手に感じる重さと同じ重さの物という使い方をすることによって、物の重さを測る事が出来ます。 ですが、1冊の本を持っている状態、といちいち書くのは大変なので、この状態を記号で表しておきます。

1冊の本を持っている状態を・で表します。
2冊の本を持っている状態を-で表します。
3冊の本を持っている状態を△で表します。
4冊の本を持っている状態を□で表します。
5冊の本を持っている状態を☆で表します。

このように表しておくと、例えば、沢山の物の重さを手で持って測った時に、それを記録しておくのに、りんご(・)とか、みかん(△)とかいう風に表せます。 これは、例えばグラム単位で、りんご(100g)とか、みかん(1箱)とか書くのと同じで、このりんごを手に持ったときに感じる重さは1冊の本を持った状態の時に感じる重さと同じだ、という意味です。 あるいは、このみかんを手に持ったときに感じる重さは、3冊の本を持った状態の時に感じる重さと同じだ、という意味です。 こういう風に書くと面食らう人が多いとは思いますが、漢字の読めない欧米人にとってはりんご(百g)とか、みかん(一箱)とか言っても、同じように面食らうはずです。 つまり、本の冊数で重さを表した時に、それを1、2、3、4、5と書くか、・、-、△、□、☆と書くかはまったく同じ意味ということです。 角の数がだいたい数字に対応しているので、分かりやすいですね。 同じ事は、欧米人に一、二、三、四、五という漢字を教える時にも言えます。 四だけは例外だけど、他の字は線の本数が数字を表しています。

このように物理的な状況を記号で表すことができました。 記号なので数字はまったく出てきません。 それにも関わらず、ここに数学を適用することができるのです。 数学というのは、論理的な構造を扱う学問です。 言い換えるならば、規則性を扱う学問です。 規則性があるところには、必ず数学があります。 では、今ある状態、・、-、△、□、☆にはどのような規則性があるでしょうか。 もしここに5枚の写真があり、その状態を見比べるなら、ぱっと見た感じで、・や-よりもは☆の方が本の冊数が多くて、ものものしい感じを受けるはずです。 そして事実、・や-よりもは☆の方が、手に感じている重さは重くなります。 ここには、ある種の順序があります。 例えば、・よりも△の方が重いし、△よりもは☆の方が重いです。 実際に手に持ってみれば分かります。 もし、この2つの事実を手に実際に持ってみて確かめたとすると、数学を使うことによって、ある1つの結論を得る事が出来ます。 ・よりも△は重く、その△よりも☆は重いのです。 これは手に持って感じた、実際の感覚から得られる、観測結果で、間違いのない事実です。 でも、それらの事実を意味を良く考えてみると、まだ観測していない、未知の性質を導き出すことができます。 つまり、・よりも☆が重い、という結論です。 もちろん実際に・と☆を手に持ってみて重さを比べることはできます。 そうしたら、・よりも☆が思い、という観測結果を得ることができます。 ですが、論理的に考えると、実際に手に持って比べてみるまでもなく、・よりも△は重く、その△よりも☆が重いのだから、当然・よりも☆は重くなります。 もし重くならないとしたら、☆は△よりも軽い・よりも軽いということになり、△よりも重いという事実と矛盾しておかしなことになります。 このような、論理的な導出を数学というのです。 ここには論理的な構造があります。 それは、状態を数字で表さなかったとしても存在する構造です。 いちいち・よりも☆が重い、などと書くのは大変なので、短く表すために→という記号を使うことにします。 ・→☆とか、△→□とか書くようにします。 これらは、1冊の本を持っている状態よりも5冊の本を持っている状態の方が重く感じる、とか、3冊の本を持っている状態よりも4冊の本を持っている状態の方が重く感じる、という意味です。 日本語で書くと35文字もかかる文章が、たったの3文字で表されるのです。 とても文字の省略になって、見やすくなります。 記号を読み解く訓練をしないといけませんが、字を書く手間もはぶけるし、一目見て状況が分かるので思考の整理にもなります。 この記号を使って、今の状況を整理すると、・→-、-→△、△→□、□→☆のようになります。 あとは論理的に考えれば、・→△や、−→☆、△→☆、などといった性質を導けます。 ・→-、-→△という状況を、・→-→△と書くようにすると、さらに状況は見やすくなって、・→-→△→□→☆となります。

何度も言いますが、今見ているのは本を手に持っている、という物理的な状況です。 本を沢山もっているか、少しだけ持っているかで状態に違いがあり、それぞれの状態において手に感じている重さに違いが出てその大きさを比べることができます。 比べているのは状態と状態です。 それらの状態を日本語や写真ではなく、・、-、△、□、☆のような記号で表し、それらの間の重い軽いの関係を→で表しました。 そして、・→-→△→□→☆という状態の間の関係を発見しました。 これらはすべて、本の重さという物理的な値を自分の手で持って測って導いた、物理的な関係です。 これらの議論の中には数字はまったく出てきません。 本の冊数を数字を使って数えることはできますが、それをあえてやらないで、実際に本を積み上げた量を写真によって表し、それを見比べる事で状態に違いが確かにあるということを確認するという、まどろっこしい方法をとっています。 ですが、確かにその方法で今の状態を整理し、その状態の間に存在する論理的な構造を解明することができたのです。 数学とは論理的な構造を扱う学問です。 つまり、この、論理的な構造の解明こそが数学の物理への適用なのです。 そこには数字のあるなしは関係ありません。 母なるこの大自然になんらかの規則性がある、なんらかの理屈を持ってで動いている、というのと、物理に数学を適用できる、というのは完全に本質的に同じことです。 これこそが、物理に数学が使われる理由です。

ここまでて、物理に数学が使われる理由については分かってもらえたと思います。 数学とは論理的な構造の解明を行う学問で、自然は物理的な理屈による構造を持っているので、その解明に数学が使われるのです。 それは数字の存在とは無関係で、状態の間にある関係のもつ、論理的構造にこそ、数学を適用することができるのです。 ですが、もちろん数字を使って数学を適用することもできます。 論理学と比べ、算数は小学生の頃から慣れ親しんでいるので、その方が多くの人にとって理解しやすいと思います。 今の場合も、本を持っているという状態を、わざわざ状態そのものとして考えるよりも、持っている本の冊数に注目して1冊の本を持っている状態を1、2冊の時は2、と表すこともできます。 となると、今回の状態の間の関係は、1よりも2が重く、2よりも5が重い、数字が大きいのですから、その分重さの具合も大きいのだろうと、実に直感的に分かりやすくなります。 状態1よりも状態2の時の方が手に感じる重さが重い、という状態間の関係を<を使って表します。 前は→で表しましたが、今回は不等号の記号を使ってみます。 そうすると、1<2とか、2<5とか実に自然に今注目している物理的状況を表現することができます。 論理的な推論も、1<2であり、さらに2<5であれば、1<5である、などと、ほとんど当たり前のことを言っているに過ぎなくなります。 こうして議論をしていくと、最後には1<2<3<4<5という関係が得られます。 これは、ただ単に数字の1より2が大きい、という数学的な事情を表しているのではなく、1冊の本を手に持っている時に手に感じる重さよりも、2冊の本を手に持っている時に手に感じる重さの方が重いという物理的な状況を表した式です。 ですが一旦、本を持っているという状況を持っている本の冊数で表す、と決めてしまえば、その後はその物理的な状況をすっかり忘れて、1よりも5の方がが大きい数字だから、1の状態より5の状態の時の方が手に感じている重さは大きい、と数字を比べるだけで物理的な状況の議論ができます。 逆に言えば今の状態の物理的な構造は自然数の数学的な構造と偶然の一致をしている、ということです。 この軌跡的な偶然の一致は、いつも起こるとは限りませんが、今の場合は起こっています。 運のいい話です。

今の状況を数字で表すと1<2<3<4<5という関係が得られました。 これは・→-→△→□→☆という関係と本質的に完全に同じ意味を持っています。 1に・、2に-、3に△、4に□、5に☆を対応させ、<に→を対応させれば、どちらを使っても完全に同じ物理的状況とその状況の間の関係を表します。 これが数学的な構造、というものです。 ・→-→△→□→☆という記号を使って表した関係は一見不思議な関係式に見えますが、実は1<2<3<4<5という数字を使って表した関係と完全に同じものを表していただけなのです。 逆に言えば、何も数字にこだわって1<2<3<4<5という表現をする必要はなく、どのような表現方法でも今の物理的な状況を表す事が出来るということです。 この、表現方法によらない、表現のさらに奥にある本質的な部分こそが数学なのです。 ・→-→△→□→☆という記号を使うと、どうしてもよく分からないという場合は一<二<三<四<五という記号を使ってみるといいでしょう。 上でも書きましたが、一<二<三<四<五という表現は漢字の読める日本人にとってはごく自然なものですが、これらが数字を表す字だと知らない欧米人にとっては、一<二<三<四<五も・→-→△→□→☆も、どっちも同じぐらい突拍子もない表現方法だと思うはずです。 むしろ、棒の数で数の大きさを表しているのに、四という字が例外になっていて分かりにくい、中にあるハの字を取って、一<二<三<口<五とすれば規則的になって分かりやすくなるはずだ、とか言い出す人が出るくらいでしょう。 そういう目線で見たときに、漢字の読める日本人が1<2<3<4<5と一<二<三<四<五の間に同じ構造を見出すことができるのは、かなり特殊なことだということが分かります。 この対応関係は、決して当たり前のものではありません。 漢字を読むという訓練をしない限り、理解できない構造です。 同じ事が1<2<3<4<5と・→-→△→□→☆の間にも言えます。 漢字が読めないなら1<2<3<4<5と一<二<三<四<五の間に同じ構造があるのに、1<2<3<4<5と・→-→△→□→☆の間にはないという論理がまったく理解できないはずです。 このように不思議な記号を使って状態を表し、その間の関係を定義しても、使い慣れた数字を使って状態を表し、その間の関係を不等号で表しても、まったく同じ論理的な構造が得られます。 これは不思議な記号を使って状態を表しても、実はその不思議な記号の奥に自然数を使った表現と不等号を使った関係を見ているということになります。 ちょっと見てくれを変えても、本質的には同じことなのだから、だったら最初から数字を使えばいいのです。 ですが、何度も言うように、数字を使うというのは本質的な部分ではありません。 重要なのは、さらにその奥にある数学的な論理構造です。 その構造が今の物理的な状況の構造と一致するので、数学で物理を表現できるのです。

2.2 現実の構造

2.2.1 物理の数学

今までは手に持った本の冊数を使って重さを表現してきました。 その物理的な構造に対応する数学的な構造があったので、状況を数学を使って表すことができました。 でも、手に持った本の冊数というのはちょっとあやふやなので、天秤と重りを使って重さを表現してみます。 天秤の右の皿に重りを乗せ、左の皿を手で押さえて、重さを体感する、という状況を考えます。 そうすると、天秤の右の皿に乗っている重りの重さ、そのものを手で体感することになります。 重りの重さは数字で表します。 1gの重りを乗せれば手に感じる重さも1gだし、2gの重りを乗せれば手に感じる重さは2gです。 でもいちいち単位をつけるのは面倒なので、右の皿に1gの重りが乗っている状況を1、2gの時は2と表します。 そうすると、ここにはさっき見たような数学的な構造があります。 つまり1<2だし、その他あらゆる状況に数字を対応させることができ、その大小関係を見れば実際に手に感じている重さの大きさの大小関係を実際に自分で感じてみなくても推論することができます。 さて、では今、右の皿に1g分の浮力を持った風船を結びつけたら、手に感じる重さはどうなるでしょうか。 2gの重りが乗っている皿に1g分の浮力を持つ風船を結んだら、手に感じる重さは差し引きして1gに減ります。 つまり、この風船は状態2を状態1に変化させる効力を持っています。 もちろん3gの重りが乗っている皿に結んだら、手に感じる重さは2gになるし、1gの重りが乗っている皿なら0gになります。 つまり、浮力を持った風船は、負の重さを持っている重りだということになります。 1gの重りが乗っている状態に、さらに2gの重りを乗せれば1+2=3なので、状態は3になります。 2gの重りがのっている状態に、1gの浮力を持った風船を結びつければ2+(−1)=1というわけです。 足した時に足す前よりも数字が小さくなるのですから、風船は負の重さを持っていることになります。 皿に重りを乗せずに風船だけを結ぶこともできます。 そういう時は左の皿の上に乗せている皿は重さを感じることはないどころか、天秤をつりあわせるのに左の皿を上に引っ張り上げないといけません。 こういう状態を負の重さを感じている、と定義すれば、状態−1とか、−2とかが定義できます。 そして、こうして定義した状態も普通の数学的な構造をもっていて、手に感じる重さは−2<−1だし、−2+3=1、などのように、複数の重りを乗せたときに手に感じる重さを計算することもできます。 つまり、重さの概念を自然数から負の数まで拡張することができたのです。 そうして拡張された重さにも、数字の大小関係と手に感じる重さの大小関係に同じ構造を見ることができます。

今は浮力のある風船を負の重さを定義するのに使いました。 ですが、別に風船でない普通の重りでも負の重さを持つことがあります。 今まで天秤の右の皿に重りを乗せ、左の皿を手で押さえてその時に手に感じる重さを測っていました。 それでは、左の皿に重りを乗せたらどうなるでしょうか。 右の皿に1gの重りが乗っている時に左の皿にも1gの重りが乗っていたら、天秤がつりあって皿を押さえるのに力はいらないので、重さを感じることはありません。 これは右の皿に1gの重りが乗っている状態1が重りが乗っていないのと同じ状態0の状態になっていることを示します。 つまり、左の皿に重りを乗せると、右の皿に乗っている重りの重さを打ち消すのです。 これは正の数に負の数を足すと元より小さい数になるのに対応します。 つまり、左の皿に乗った重りは負の重さを持っていることになります。 同じ重りでも右の皿に乗るか左の皿に乗るかで重さの正負が変わるのです。 今見ているのは、天秤の上に重りを置くという物理的な状況です。 あるのは正の重さを持つ、普通の重りだけです。 しかし、左の皿を支えるのに必要な力の大きさで状況を表すと、同じ重りでも右の皿にあるときは正の重さ、左の皿にあるときは負の重さを持っている、とすると、数学を使って状況を非常にうまく表すことができるようになるのです。 これは、重りと天秤という物理的な状況の奥にある本質的な構造と、正負の数の足し算や大小関係という数学的な構造が一致するためです。 今、私達は物理的な状況をよく観察して、このような一致が存在するということを発見したのです。 このように、今観測している物理的な状況をうまく表すために数学的な構造を作り出すことができます。 ただ、一つ注意して欲しいのは、今使っている重りは普通のどこにでもある重りであって、普通に使ったら正の重さを持っているということです。 その重りを天秤に置き、片方の皿を支えるのに必要な力を測るという今の物理的な構造が、普通の重りに負の重さを持たせているのです。 このように、物理において数学とは今考えている状況をうまく表すために、ぴったり合う物を探し出すものです。 仮に状況を表す方法が分からない時は、新しい数学を作り出す必要があります。 物理に数学が使えるのは、自然の法則がしっかりした構造を持っているためです。 その構造そのものを数学と呼ぶのです。

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